今こそ社会科の学力をつける授業を

有田先生が遺された最後の企画『今こそ社会科の学力をつける授業を』の刊行(2014.11)を記念して、

1)同書に収録のWebワーク「ずいずいずっころばし」
2)同書に収録しきれなかったコラム「私のコンブ修行(有田先生のコメント付)」
3)同書の執筆に携わった先生方からのコメント

をご紹介します。

有田式Webワーク「ずいずいずっころばし」

ずいずいずっころばし

「教材の一番おいしい所から子どもに食べさせてあげないと」――有田和正
この「有田式Webワーク」は、「ずいずいずっころばし」という童謡を題材に、歴史授業(江戸時代の文化)を展開するものです。
この童謡の一番のおいしい所は「茶壺」の所です。
一番おいしい所には子どもの豊かな発想を引き出すきっかけが隠されているのではないでしょうか。
有田式Webワークは資料や解説を決まった順番に見せるものではありません。
子どもが興味を持った所から資料や解説を表示させるのです。
その上で一番おいしい所へと子どもを引き込んでいくのです。
(本書「有田式Webワーク(金川秀人)」より)

ずいずいずっころばし

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[寄稿・コラム]私のコンブ修業

[寄稿・コラム]私のコンブ修業

教材・授業開発研究所のメーリングリストに掲載された大谷和明先生(教材・授業開発研究所空知支部)のコンブ修業についてのレポートとそれに対する有田先生のコメントです。追究を目指す教師の姿勢とそれを支持する有田先生のお言葉が光ります。

その1 情報収集はできるだけ実踏するべし<人は先入観にとらわれやすい>

 大学は教員養成大学であったのに、卒業論文はなぜか「海藻の植生〜季節消長」に関わるものであった。指導教官が北海道大学理学部卒業で、海藻を研究していたものだから、仕方のない状況だった。日本人にとって、海藻といえば、有用海産物の代表のように感じるものだが、マイナーもマイナー「無節石灰藻」が対象物だった。(興味のある方は、海藻図鑑でも引いてみてください)そもそも海藻=有用物ということが、そもそも先入観にとらわれているのである。コンブやワカメやヒジキに代表される海藻類が真っ先に浮かんでくる以上、国民的民族的にみても”先入観”の意識すらないのが当たり前かもしれない。実は決して、有用なものばかりでもないのが海藻の世界である。  石灰藻なるものは、私自身、大学に入って研究対象物になったので、知り得ただけのことで、ほとんどの日本人(というよりは地球人ですね)は、目もくれない藻類である。岩場にピンク色のペンキが塗られたようになっているものを見たことはないだろうか。実はあれがその正体である。沿岸漁師にとっては、不快きわまるシロモノである。  ここ半世紀ほど、日本沿岸では「磯焼け」といってコンブ・ワカメなどの広く知られた海藻類が激減し、それに伴って魚も激減する現象が広まってきている。我が指導教官殿は専門柄実踏調査に当たってきたわけだが、その現象を引き起こす現況が、先に述べた石灰藻というわけである。「漁師がなんでもかんでも捕りすぎることが磯焼けを起こしているんだから、自業自得なんだ。」と、しばしば言っていた。乱獲が引き起こす絶滅現象はよく見聞されるところなので、ごく普通に納得していたものである。  果たして漁師というのは、乱獲者なのだろうか?と、今の私なら、一度立ち止まって再考するところである。もちろん、読者も同様だろう。それが賢明な態度というものだ。  有田先生のスゴイところは、とにかく実踏を重んじ、自分の目で確かめるという現場人としての姿勢にある。ともすると、我々は書籍・文献、今のご時世ならインターネットであろうか、とにかく、間接的に得た情報をノンフィルターでそのまま取り込んでしまうところがある。未解決の学説には当然、賛否・正反の両論がある。科学的に考察しようとするなら、両方を比較して思考するわけだが、意外と自分の都合で取捨選択に偏りがでがちなものである。

◆有田先生のコメント

 わたしたちの盲点をついた面白くてためになる論文である。
 海藻といえばすべて有用なものという固定観念がある。いわれてみれば「なるほど」と思うが、いわれないと気づかない。森の中にも、有用でないものがあるし、人間の世界だって有用でない人もいる。
 こういうあたりまえのことを疑ってみることの大切さを大谷さんは指摘している。ここがすごいところである。
 「石灰藻」なるものをみたことがあるが、表面がつるつるした感じで、色は結構美しく何かの役に立つのかと思った。漁師に「これは何ですか?」とたずねたら「そんなことも知らないのか」という顔で、「困った海藻、消えてほしい海藻だ」といった。
 「へー、これが海藻?」といったら、「驚くほどのものじゃない」といわれた。まあ、いうならば「軽べつ」されたわけである。
 軽べつされても、たずねて、本当のことを知った方が得だとわたしは考えているので、別に気にならなかった。このことがきっかけで、北海道の四つの代表的な昆布を調べることになったので、何がきっかけになるかわからない。
 浦河の海、昆布のとれるところ(三石昆布=日高昆布)に、井寒台というわずか500メートルのところでとれた昆布は特上で、普通の人は入手困難である。これをわたしは手に入れて食べてみておいしさに驚いた。

その2 漁師はきついよ<体験しなければわからないことはある>

 幸いなことに私の新卒任地は”えりも町”であった。しかも、日高三石昆布の3大一等浜の一つ笛舞というところであった。(※一等浜というのは、一等昆布を量産してきた有名処という名称である。のこりは、浦河の井寒台〜いかんたい〜、様似の冬島)年中何かしらの漁があり、所得もまずまずで歌に知られたほど寂しいところではなかった。共同の畑ともいうべき、海岸線での漁には、厳粛なお定まりがあって、脈々と受け継がれて繁栄を築いてきた土地である。コンブ漁では、出漁の取り決めは選出された代表者の合議によるし、祭りごとがあれば、沖止めと称する禁漁の申し合わせがある。利尻コンブだって、コンブの漁場は毎年取り決められていると聞く。つまり、細く長く代々が生き継いでいくための決まりのもとに、そこに住む者の命を育み、地域が発展が保障されてきたわけだ。 決して私の教官が言うような無思慮な漁師の姿は見られなかった。そればかりか、資源枯渇の防衛であったり、増殖のための地道な研究すら行われていた姿をみて、自分の先入観を恥じた思いであった。(だからというわけではないけど、毎年夏には、コンブ漁の手伝いをした。岡回りといって、磯舟から上げたコンブを干し場まで運ぶ仕事が主である。)  コンブ漁は7月20日前後から始まる。うまい具合に夏休みが重なる。そのために、赴任当時は、北海道ではめずらしく夏休み30日間、冬休み20日間という取り方をしていた。この漁期は、コンブ漁家の家族全員はもちろんのこと、集落を上げてコンブ一色となる。日高の沿岸線全体がコンブだらけとなる。おもしろいことに、自分の家の手伝いではなく、わざわざよその家への手伝いに出される子どもたちが多かった。なぜか?自分の家ではどうしてもサボリがちになってしまい、効率が悪いからである。そして、期間中はよその家の飯を食うというわけだから、親たちも容赦なく厳しく接する。何しろ、一夏で一年間の生計を得るだけの漁である。真面目なところでは、拾いコンブだけでも、当時400万円は手にすることができたと聞いている。今から30年近く前の話である。それだけ労働に対する対価も高い。(私の収入は聞かないでね。(^_^;)  初動期は、4:00〜10:00あたりまでフル稼働となる。岡回りだから、私はそこで終われるわけだが、漁師一家は、夕暮れまでさらに働くことになる。くわしくは、次回に回す。  とにかく、あまりの酷使に音を上げたバイトの学生が何人も夜逃げしたということだ。(^_^;)そこでの5年間、毎年コンブ漁に奉仕してきたということである。こと、コンブに 関しては有田先生には負けませんよ。(^_^;)

◆有田先生のコメント

 一読して感じたことは、「体験したことは強い」ということである。自信を持って書いている。「岡回り」というアルバイトを5年間もしたということに驚いた。「岡回り」という仕事内容は知っていたが、この言葉を初めて聞いた。同じように「沖止め」の内容やとりきめがあることは知っていたが、この言葉にも初めて接した。すごい内容である。体験した人しか書けないことである。
 船から降ろされて干場(かんば)へ運ぶ仕事を「岡回り」ということを大谷さんの文で知った。干場というのは、小石と砂利を敷き詰めた昆布を天日で乾燥させる場所のことである。ここで、根を切り落とし、一定の方向にそろえ、表を上にして並べる。昆布にも、表と裏がある。葉の中央部がくぼんでいる方が表である。このことを知ったのは、昭和54年のことだから、随分昔のことである。日高三石昆布を干場に並べているのを見て、「何かおかしい」と思って尋ねたら、「表面を上にして並べているんだ」といわれ、びっくりしたことを思い出した。
 昆布は、乾燥中に粘液を出し、小石などに付くことがあるので、少しずつ移動させるという。これを「浜寄せ」という。昆布は海藻をただ乾燥したものではない。「庵蒸(あんじょう)」という作業をしなければならない。日高三石昆布は、上から順に、特上浜、上浜A、上浜B、中浜A、中浜C、並浜A、並浜Bの8ランクがある。井寒台は、特上Aと決められている。

その3 ころんでもただでは起きない<体験に価値をつける>

 生コンブ(海中から引き上げたコンブをこう呼ぶ)を舟から引きづり降ろすことが、第一の仕事になる。その間、船主(大抵は漁家のご主人となるのだが、まれに雇われ船主がいる)は、用意されたにぎりめしなりおかずなりをほうばっている。ちびっ子は、船底にたまる海水を汲み出し、奥さんは必死にコンブを束ねる作業を進める。海水から揚げたての生コンブは、あのどくとくのヌメリがなく、ツヤツヤとした鞭のようなしなやかさをもっている。褐藻類そのままのあざやかな茶色をしているその体は、手には軍手をはめているので、簡単に捕まえることができた。  コンブを束ねる作業は、私は若かったのでスピードだけは速いのだが、横でせわしなく動く奥さんにとっては、不満があったようだ。浜言葉を早口に言われると、何やら外国語を聞いているような気がして、ましてや忙しく手元を動かしながらのことだから、曖昧な相づちを打ちつつ手を休めることはしなかった。運搬用のトラックに積み込み、干し場へ運び下ろして、再び船着き場(ここを「○○の澗」と呼んでいた。○○はその家の名字)へと戻ってくると、その言っていた内容が分かってきた。つまりは、私はなんでもかんでもたばねりゃいいやという調子で、等級を選別しながら束ねていないというのである。一等昆布は生コンブの時から一等昆布なのだそうだ。ただし、メンテナンスを怠るととたんに二等級へと格が落ちてしまうそうだ。例えば、乾燥途中で雨に当ててしまうとか、ガスが多いときに、干して急速な乾燥ができなったとかいう場合だ。  そこから、私への目利き指導が始まる。奥さんは、これが一等だ!というコンブを手にして見せながら、束ね作業をするのである。私は私でこれは一等?これは二等?という具合に口早に聞きながら作業をしたのである。聞く頻度は徐々に少なくなっていったが、こんな状態は2〜3年続いた。束ね作業をしながら、ウルシグサやケウルシグサといった害藻なども取り除くことを覚えた。何しろ、ウルシグサは、海水から出して空気に触れると自らの硫酸分を出して、緑色に変色し、付着する他の海藻類にまで悪影響を及ぼすという わけである。コンブに付着しているウルシグサは、速攻はがし取って3億光年の彼方へ投げ捨てねばならない。(^_^;)  コンブは仮根でゴロタ石(丸い漬け物石程度の大きさ)に付着していることが多く、舟へ引き上げる時に、振り落とすようにされるが、そのままくっついてくることも多い。ズリズリと引き上げたコンブの先についたゴロタ石が足を直撃することもあった。作業途中では、未成熟なコンブ(水コンブと呼ばれていた)か、成熟したのコンブかも教えてもらったりと、現場ならではの知識をいろいろと伝授してもらったものである。  3年目には、干し場でちゃんとした生コンブを干す許可をもらうまでになった。いわば干す作業の免許皆伝である。ご存知の通り、コンブは体が長いので、ねじれた状態で干すのではなく、きちんと平面で干さねばならないのである。素人だと、5〜6メートルを越えるコンブを平たく干すことはできない。ましてや、片手に5〜6本もたばで持ちながら干すことなど到底無理な作業なのである。ここまでは、私も途中で切れてしまった半端コンブ(通称「シッポ」)しか手に触れることを許してもらえず、干し場にいるプロのオバチャンたちの技を盗み見ながら、コッソリ一本・・二本と練習を重ねていたわけである。 (教師がそこまですっか!(^_^;)

◆有田先生のコメント

 「一等コンブは、生コンブの時から一等昆布」という。そうだろうと思う。「井寒台」はとれたときから「特上A」だし、様似町冬島地品は「上浜A」と決めている。このことを大谷さんは、学生時代から体験を通して知っていたのだ。体験の強さが見える。
 「これが一等?これが二等?」と聞きながら束ねる作業をしたというから、大谷さんは昆布を見ただけで「これが一等だ」とわかるだろう。こんな「見る目」がほしいものだ。
 三年目で「干し場でちゃんとしたコンブを干す許可、つまり、免許皆伝である」と書いているので、コンブを見る目は確かなものだろう。
 「素人だと、5〜6メートルを越えるコンブを平たく干すことはできない。」ということに、その通りだといいたい。大変な作業であることは、見ただけでわかった。
 大谷さんは、「プロのオバチャンたちの技を盗みしながら、コッソリ一本、二本と選考を重ねた」というのだから、半端なアルバイトではない。「技をもったアルバイター」なのである。
 わたしは、根室の昆布漁師の家で、「家宝にしている」という昆布を庭に広げて見せてもらったことがある。長さをはかったら12メートル以上あり、その長いことに驚いた。
さすが「家宝だけはある」と思った。二度ととれないだろう。

その4 人様が寝ている間も仕事をするからよい昆布となる<適条件下で加工する>

 岡回りの仕事も、お盆が近い8月上旬を過ぎたあたりから、やや忙しさから解放される。朝の召集が4:30、5:00とだんだんと余裕が出てくるのである。  ところが時として3:30とかに電話が鳴ることがあった。何事かと思いきや、昨日採ってあったコンブを、これから干すのだと言う。あ゛〜〜〜。一杯やってから寝ていたら最悪というものだ。しょうがないので、出かける。そもそも前日のコンブがどこにあったのか?ということだが、沖合に沈めておくのである。コンブは海藻であるから、全身をつかって呼吸をし、光合成をするわけなので、舟揚げした直後なら、網にくるんで沈めておけばそのまま生存していけるというわけだ。これを「漬けコンブ」という。  ホンチャンの昆布漁が始まる前に、干し場(これを「昆布浜」という。天日乾しをするための立派な加工場といえる)に並べておくというわけだ。販売されている昆布を見たら分かるとおり、コンブは縦よりも横方向の縮みが大きい。乾燥して縮んでくると、干し場に隙間ができてくるので、並んでいる昆布の間隔を詰めることで、干し場の面積を確保することができるのである。実際に聞いたところによると、天日で乾燥させるよりも、風で乾燥させる方が良いとのことだ。つまり、風がなく日光がガンガンという状況下よりも、多少曇っていても風が吹いている方が仕上がりが良いということだ。ただし、これはあくまでも三石昆布のことである。ちなみに、内浦湾沿いで採れるマコンプの場合、吊し乾しとすることが多いから、やはり風の乾燥効果を重視しているようである。  この天日+乾燥時の風 が昆布の等級を左右するそうである。一等の生昆布を最高の条件かで加工して、できあがったものが、東京・大阪・京都の高級料亭や割烹で出汁用として使われる一等昆布となる。私ら一般庶民にはなかなか口にすることが出来ないものである。とはいえ、一等昆布はあくまで出汁用が主となるそうで、昆布料理として口にするものの等級は二等が多く、また味もそちらの方がよろしいということである。(しかし、一度は、一等昆布で作った昆布巻を喰ってみたいなぁ。(^_^;)  お盆を過ぎたあたりともなると、乾燥させておいた昆布を切りそろえて出荷する作業も始まるころとなる。当然ながら規格があるわけで、等級で品質をそろえることはもちろん、長さと重量もスバピタのサイズにする必要がある。昨今の偽装事件にあるような等級の落ちるものを混入させようものなら、ひとたびそれが発覚するや、その漁家だけにとどまらず、漁場全体の連帯責任を負わされる。つまり、その一帯の相場がズド〜ンと落とされてしまうわけである。圧倒的多数の真面目な漁家が、たった一軒のバカタレのために、退勤と信用を失ってしまうわけだから、大変なことである。こうなると、村八分ではすまないらしい。昆布漁の漁業権は剥奪されるのは当然として、その他の就職もできないことになってしまう(らしい)。ミートホープは自社が破産しただけだろうが、食の北海道の信頼を失ってしまったという社会的責任は重い。石屋製菓もしかり。赤福もしかり。(^_^;)

◆有田先生のコメント

 今回も一読して「体験の強さ」を強く感じた。「体験した人しかわからないこと」を沢山書いている。しだいに内容の濃い文になってきている。
 今回の内容で、一番驚いたのは、「前日にとったコンブを、沖合に沈めておく」ということである。こんなこと、聞いたことも読んだこともない。その日のうちに、浜に干すものと決めつけていた。いや、そういう話を何度も聞いていた。
 考えてみると、すごく合理的なことである。沢山とれた時のコンブは干し場がない。だから、魚でいえば「いけす」に入れておくようなものであろう。
 改めて、コンブは生き物であり、植物であることを認識し直した。植物だから「光合成」して生き、生長する。とって船に揚げ、網に入れてすぐに海に沈めておけば、岩に根がくっついていなくても、「光合成」することを知らされた。
 太陽より風で乾燥させる方がよいコンブができるという。根室で洗濯物のように、さおに干しているのを何度か見たことがある。「なるほど」と大谷さんの文を読んで思った。
 コンブの偽装は十分考えられる。何しろ、等級で値段がかなり違うのだから。製紙業のように、「みんなですれば恐くない」とばかりに、大手五社がそろって偽装していた。他にもまだ出てくるだろう

写真撮影(すべて):福嶋顕勝

執筆者の感想・声

有田先生のお墓参りにいってきます。
このことをしっかりと報告してきます。
きっと、喜んでくださると思います。
(古川光弘)

待ちに待った書です。
多くの有田ファンの皆様が手にされることを願っています。
それだけの内容の本だと感じています。
(佐藤正寿)

すっごく素敵な写真に感動です!!
(福山憲市)

表紙に使われた写真は、2005年に網走で撮影したものだと記憶しています。子ども相手の授業で、流氷を素材にしたものでした。
有田先生には、写真を通して追究の仕方を学ばせていただきました。牧草ロールやジャガイモ畑、授業風景などの写真は、その代表例です。
(福嶋顕勝)

「いつまでも引きずっていたら、逮捕するぞ。常に前進するんだ。
 私はいつまでもあなたたちをここから見守っているから。」
天国に行かれてからも、ユーモアたっぷりに私たちを叱咤激励してくれている有田先生のお顔が浮かんできます。
(德田洋広)

有田先生の著書、有田先生という人間 有田先生を取り巻く先輩、仲間
出会いがなければ、自分がここに書かせていただくなんてことはないなと……
改めて出会いのありがたさを痛感しました。
同時に自分の実践を分類、体系化することのむずかしさ、そして楽しさを味わうことができました。
(篠田裕文)

現在、セミナーでお話しさせてただく「俵原が選ぶ有田和正実践ベスト9」を考えているのですが、ベスト9に収まりきらず、その日ごとに順位が変動して困っています(笑)。
(俵原正仁)

今後も、有田先生の実践の継承と発展をめざしてがんばります。
(藤本浩行)