私の研究ジャンルの一つに作法があります。作法には算数ソフトのような派手さはありません。ですが,知らないと日本人としてかなりイマイチと感じられるちょっと変わった世界になっています。
ちょっと変わっているとはいっても,それが歴史を持っているので,ぞんざいには扱えません。

なにしろ,万葉集にも作法のあれこれが出てきています。
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山神(やまつみ)の奉(まつ)る御調(みつき)と
春べは花かざし持ち
秋立てば黄葉(もみじ)かざせり
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山の神様を奉るといえば,春は花,秋は紅葉だね
というような意味です。
春の田植えの頃に山の神が降りてきて,秋の収穫を終えて山に帰ります。大事な「始まりと終わり」ですから,それなりの儀式を行います。
その時に,春に葉を奉り,秋に花を奉ったんじゃ,それってダメじゃん!と万葉の時代にはなっていたのです。
この感覚を伝統的に受け継いできているから,日本人はやっぱりすごいと思います。

事の始めとと終わりにはそれなりに何かしましょうというのは,今も昔も変わりませんが,何をするかは時代と共に変わってきています。
特に,日常生活の作法は明治になって変わりました。全国,不統一だった作法を当時の文部省が「こうしましょう」とガイドラインを示したのです。この水準が高かったので,戦後,フランクな時代になっても日本人は礼儀正しい人柄として世界に認められています。

この『行儀作法の教科書』がお陰様で増刷になりました。3刷りです。たくさんの方々に読んでいただけて,とても感謝しています。