第5回になる実感道徳研究会の全国大会。
今回は「いじめ」がテーマでした。

b8638具体的ないじめの話や、いじめ防止の話があり、一つ一つに感心させられました。
頭の中で少し整理しながら、聞いていました。
自分の中では、次の4つに分かれていきました。

1、いじめ防止(目先の防止、根本からの防止)
2、いじめる子への対応(教えで対応、警察などへの対応)
3、いじめられている子への対応
4、いじめていることに自覚のない子

大会の最中に、フロアの意見を聞く時間がありました。
その時、若い小出先生が、1の根本からの防止について話してくれました。時間がなく、言いたいことの一端を述べるにとどまりましたが、向かおうとする方向・姿勢が実によかったです。
また、英語のスペシャリスト竹村先生からは、論語の素読などの話がでました。
小出先生の言いたかったことも、竹村先生のお話も、私の図の中の「内には孝」「外には礼」という部分に位置します。もっとも大切なところです。

懇親会で、村岡さんが、大人になってから「私はいじめっ子だった」と言う人があまりいないという話していました。自覚なきいじめが横行しているのか、いじめそのものが自覚しにくい現象なのか、どちらにしろ、こういう姿には、あらゆることが無力に感じられてきます。
でも、昔から、人の世にはどうにもならないところがあるので、そこにもそれなりに対応するために、人知を超えた現象の存在が登場してきます。それが、地獄であり、バチです。

この人知を超えた存在を作ることは、算数数学的にみると実に有意義な世界に見えてきます。
「虚数」という存在しない数を作ったことと似ているからです。
虚数でなくても、1,2,3・・の自然数だけだったところに、小数や分数を作りだすことで、自然数の意味が大きく変容することに似ています。
たとえば、自然数しかなかった時代には、1は1以外の数にはなれませんでした。ずっと、1のままなのです。
そこに、分数が登場し、人々が分数を理解すると、1は「2/2」ともなり、「5/5」ともなります。1の中に1以外のどんな数でも入り込めるようになったのです。
小数が登場することで、1は「0.5から1.4999999・・・」の範囲で変化できるようになります。

1を自分の現実だとしたら、自然のままの見方をする人は、常に1でしかありません。でも、小数・分数などの人為的な存在を信じる人は、1でありながらその1を幅広く変化に富ませることができます。
豊かな広い心はこういう形でも育てられていくのだと思っています。