授業づくりネットワークの春集会に顔を出しました。
自分の講座があるわけではありませんが,千葉大で開催とのことなのと,藤川先生とも久しぶりにお会いしてみたいと思い,一日受講しました。

分科会が2回ありました。
1回目の分科会は,テーマで決めました。
「教室のルールづくり」です。
2回目は流れで「『教室』を考える時に若手が直面していることは何か」の教室に行きました。

面白かったのは,近場の人との話し合いです。
話し合いの中身が面白かったのではなく,話し合いに参加している自分の不可解さが面白かったのです。

その場に居合わせた3人とか4人ぐらいで感想を語る場面が,結構多くありました。
見知らぬ人と話すのです。そんなとき,いきなり話し始めるのも何か違和感がありました。まずは,ご挨拶でしょうと,名刺を差し出し,「さくら社の横山です」と一般的な挨拶をしました。

この名刺を出すことをした自分の行為が面白かったのです。
なにしろ,講師の先生のお話を受けて,その事について話し合うのが目的の時間なのです。それも短い時間です。ご挨拶をしている暇はありません。
また,挨拶は話し合う内容に何ら関わりません。ある意味,話し合いの妨害になります。
それは分かっているのですが,それでも,自然と名刺を出して挨拶をしている自分がいるのです。

名刺を出す順番は,普通は用のある人の方から出します。わざわざ御対応をしてくださり,ありがとうございますという感謝の気持ちを伝えつつ,自分がどこの誰なのか名乗ります。
今回はフロアの席なので,誰から誰へと用事があるわけではありません。こういう時は,長幼の序で年齢がそれなりに幅をきかせてきます。
ですので,目上が先に名刺を出すというのは,自然ではありません。
これも分かっているのですが,明らかに年上の私が先に名刺を出しています。

小学校の先生は,廊下でのすれ違いざま,子ども達より先に「おはようございます」と挨拶をします。朝出会ったら朝の挨拶をするんですよ,ということを行動で教えているわけです。
ここに,作法の形を変えてでも挨拶の重要性を教える仕事人,それが先生なんだ!という先生観がでてきます。
私が名刺を先に出してしまうのは,もしかしたら,私の中にこの先生観がまだ残っているからかも知れないと,フッと思ったのでした。

名刺を交換したというだけのことですが,それを思い返すにつけ,妙な面白さを感じています。
--
名刺と言えば,若い頃,かなり面白い名刺を作っていました。
学習ゲームを研究していた頃は,名刺に歴史人物モンタージュを印刷して,かなりのインパクトを与えていました。木を薄くスライスした名刺があることを教えて貰った時,早速,自分もそこに注文をして作ったこともありました。珍品名刺の感があり,これも楽しかったです。

今は,極めて一般的な,特に何の特徴もない名刺を使っています。
中庸の教えを良いものだと感じ取れる年齢になったような気がしています。
--
関連記事:

投稿が見つかりません。