b8627日野市立南平小学校での午後。
参加された先生方に、「姿勢の教育」のお話をしました。
その一番最初に話したのは、姿勢の位置づけです。

姿勢の教育は道徳の一部です。
その道徳を突き詰めると、それは「孝」と「礼」になります。
「孝」と「礼」の源はどこにあるかといえば、それは「論語」が代表する儒学書となります。

そこで、私は『日めくり論語』を取り出し、教卓のわきにあったピアノの上に置きました。
そうして、この『日めくり論語』を教室の教卓の上に置き、子供たちの目に触れるように配慮している先生がどのくらいいるのか、尋ねました。
すると、私から見て、左端の方から手が上がりました。そこだけ見ていると、100%の先生が教卓に置いているように見えました。
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論語は、いわば、現代道徳の原点です。
それを子供たちが目にしていれば、自然、道徳的な心が育ちます。
29日の日めくり論語は、「過(あやま)って改めざる、これを過ちという」です。
自分が失敗したのに、それを直さない。その直さないことが過ちなのです、という教えです。

この『日めくり論語』は、これから先も、姿勢・作法の教育の講演時には、持参し、どんどんお伝えしていこうと思っています。

「礼」の一部が「作法」です。
その「作法」の一部に「姿勢」が位置しています。

ですので、「姿勢の教育」をきちんと受けた子は、同時に、作法も学ぶことになり、また、礼儀を学ぶことになります。さらに、道徳を学ぶことになり、論語などの素養を身につけることになります。

次に私が話したことは、「知っているか、知らないか」です。
姿勢も含めて、作法は知っているかどうかが、分かれ目となります。
知っている人は、どうしたらいいのかわかります。それだけでなく、一般的にはこうだが、今は、たまたまこういう状況だから、ちょっと変則的にこうする、という判断もできます。道徳的判断です。

今日,岡山の守屋先生から「横山先生のお話は、心に落ちるものばかりでした」とお便りをいただきました。
また,内田先生から,8月25日(日)に姿勢の教育の話しを,とお申し出がありました。
ありがたいことです。
さらに,学び,より質の高い話しができるように前進したいと思っています。