調べ物をしていると,相変わらず途中で脱線しています。単位量は当たり前

「左前」と言う言葉は,多くの方がご存じだと思います。
着物の着方で,死に装束の場合に用います。
ですので,着物を左前に着るのは,あまり縁起の良い着方とはなっていません。

このときの「前」の用い方が,普通の「前」と微妙に異なっています。
普通の「前」は,自分を規準にして,距離感が大きい方がより大きな前になります。
朝礼で背の順で並んでいたとしましょう。自分の目の前の子は1つ前です。その子より前にいる子は,「もっと前にいる」という感覚になります。先頭の子は,一番前という感覚で,並びの中では最大の前です。
普通の「前」は,どうも算数(数直線)臭いです。

これと「左前」や「前方後円墳」の「前」は感覚が違います。
自分の体からの距離が短い方が前なのです。
左前は,左側の襟が体に近い方となります。
前方後円墳は,方形(四角い形)の方が自分の体に近い方となります。
「手前」「目の前」という意味での前なのです。
何となくですが,生活臭いと感じます。

こんな風に思っていた時,気になったのが「当たり前」でした。
いわゆる,当然!常識!という意味の言葉です。

「手前」は手の前と思えますし,「目の前」は目の前です。
すると,「当たり前」は,当たりの前なのでしょうか。
ズバリ当たっているなら,それで「当然!」という意味と結びつきます。
ですが,「前」がくっついています。おまけのようにくっついています。

調べてみたら,最近有力視されている説が載っていました。
それは,「一当たりの分け前」が略されて「当たり前」となったと言う説です。
収穫した物をみんなで分ける時,全体の量÷人数で計算して,一人当たりがもらえる量を決めます。ですので,「一当たりの分け前」がもらえて当然の量なのです。

私がググッと来たのは,この「もらえて当然の量」という生活感覚です。
算数で単位量も教えてきましたが,「もらえて当然の量」という感覚は伝えたことがありません。
こういう実感性の高い言い回しを伝えたら,子ども達の学習意欲も少し高まるのではないでしょうか。

算数も文化の中で生まれ発展してきた概念ですから,そこに生活感覚の強い言葉も入り込んでいます。そういう文化という目で算数をもう少しとらえ返したら,ほんの少しですが,お役に立つような気がしています。

来週の土曜日は,「算数スタートダッシュ!セミナー」です。楽しみですね。

「当たり前」は『日本語源大辞典』(小学館)で調べました。
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