【横山験也のちょっと一休み】№.3791
『不親切教師のススメ』『不親切教師はかく語りき』の松尾英明先生のメルマガに、ドリルの丸付けに関する記事が出ていました。よく考えられていると感心していたら、ふと、思い出したことがありました。
そこで、今日は漢字や計算のドリルの話を一つしたいと思います。
昔の子も、今の子も、私が教えた子も、みんな漢字の練習をし、計算の練習をしてきました。
私のころは、漢字ドリルがあり、計算ドリルもあり、重宝していました。
ドリルを行うにあたり、覚えるとか、見ないで書けるとか、スラスラできるとか、やり方がわかるとか、こういうそのページの内容を習得していくことが、まず、頭に浮かびます。
そのページの内容をしっかりできるようになってほしいと願って、「計算ドリルの25ページをやりましょう」となるわけです。
教室で取り組むときには、時間も確保していますし、先生もいます。どの子も、先生に言われたことを素直に取り組みます。やりたくないなぁ、なんて気持ちはまず湧き上がってきません。
ドリルが終わったら次に進んで、ドリルのことはみんなの意識から離れていきます。
これがたいていの流れなのですが、時折、全員が指定ページをやり終えたときに、ちょこっと話をすることがあります。
「ドリルの問題は20問あり、1問目から最後の20問目まで、みんなやり終えましたね。これ、何の力かわかりますか。」
子どもなりに何か言ってくれます。
子どもの言ってくれた言葉をうまく活用して、「やり遂げる力」と話します。
子どもたちは、ドリルの1ページぐらい誰だって簡単にできると思っています。できて当たり前と思っています。こんなの普通だよと感じています。だから、「やり遂げる」は少々大げさと感じます。
その感じ方をそのままに、それでも、この「やり遂げる力」が山田君にも、ハナちゃんにもついてくることを話します。
「力」というものは、そもそもいいものなので、それが自分についてくるとなると、嫌な気持ちにはなりません。いい話だと感じられます。自然と、話をよく聞いてくれます。
やり遂げる力がどんどん身に着いたら、もっと大変なことでも、やり遂げることができるようになっていきます。ドリルをやることは、そのトレーニングになっているのです、と話を続けます。
ドリル番号が25だったら、もう25回も「やり遂げる力」をつけてきました。このように話すこともできます。
そうして、「30ページ、おわりました」とか「30ページ、やりました」ではなく、「30ページをやり遂げました」という子が出てきたら、にっこりしたくなります。この言葉を言うようになったら、その子はほんの少しずつですが、物事に対する姿勢、意識、覚悟がかわってきます。「やり遂げる」ことを自覚して取り組むからです。
ドリルの内容の力を付けることは大事なことです。ないがしろにはできません。そのドリルが、ありがたいことに、継続して使える教材になっています。そこに人生訓となる道を意識づけることもできるのが、先生なのです。
《 一歩ずつ 積み重ねれば 道となる 当たり前こそ 明日の光 》

