【横山験也のちょっと一休み】№.3797

久しぶりに、道徳の話をしましょう。
今日は、小さな道徳です。

道徳と言いましても、週に1時間ある授業としての道徳ではありません。道徳以外の授業や給食、休み時間などのほんの一瞬の道徳です。

ほんの一瞬の話なので、講座に呼ばれて先生方に話をするときに、「小さな道徳」がポロリと出たことが何度かあります。そのたびに「小さな道徳」と言っていたので、自分の中では、1時間の授業との区別として、平素の道徳っぽいことを「小さな道徳」と呼んでいます。
もちろん、大した話ではありません。ですがクラスではなかなかの雰囲気を作ってくれます。

随分と昔の話です。
授業中に机間巡視をしていると、一人の子がとても短くなっている鉛筆を使っていることに気が付きました。それまでも、目にはしてきたはずなのですが、この時は、なんというか「これは、ほめなければ」という思いに駆られ、「おおっ、こんなに短くなるまで使っているのか」と取り上げ、まさに素晴らしいという思いで、他の子にも見せました。

これだけで、「物を大切に使う」という小さな道徳をクラスの子に知らしめたことになります。これで十分なのですが、この時は道徳のことが頭にあったのでしょうね。「よっちゃんは、親孝行だね」と続けました。

この話は、小さな道徳を親孝行に結び付けたという程度のことで、そうそう大した話ではありません。同様のことは、多くの先生がされていると思います。

翌日も普通に授業があり、机間巡視をします。
すると、短い鉛筆がなぜか増えています。よっちゃんの様にほめてもらいたかったのだと思います。中には、長い鉛筆がそろっている中に1本だけ短のを置いている子もいました。きっと、鉛筆削りで短くしたのだろうと思います。これは戒めなければならないところもありますが、その子も親孝行の方向に心がなびいています。取るべきところは、その心のなびきです。そのなびきを一時的なものではなく、「僕は、親孝行なんだ」と<僕=親孝行>となるように導けられたら、これはいい教育をしたことになります。ですので、短くなった理由はともかく、「親孝行だね」とほめました。

もう、このぐらいで、何とはなくですがクラスに清らかな風が吹いている気分になるから不思議です。単なる自己陶酔のように思いますが、この心地も大事です。

机間巡視では子ども達のノートをよく見て、次に指名するる子を誰にするか考えるのですが、私はその方面の才能がなかったようで、今度は使い込んだ筆箱が目に留まりました。
「この筆箱、いいねぇ。ずっと使っているんでしょう。」と、使い続けていることに目を向けてほめていきました。「1年生から使っている」と嬉しそうにいうので、間髪入れずに「6年生になって卒業するまで使ってごらん。お父さん、お母さん、きっと喜ぶよ」と親孝行につなげます。そうこうしているうちに、「私は、お姉ちゃんのを使っている」という子が出てきました。「それは、いいねぇ。お姉ちゃんもうれしいし、お父さんお母さんも喜んでいるよ」と、やはり親孝行につなげて話しておきます。
自然と、「親孝行」という言葉がクラスの大事な言葉になっていきます。

話は、ここでおしまいになりますが、「親孝行」という言葉より、「家族愛」の方がフィットする先生もいるでしょう。もう少し違う言葉や横文字の方がいいなぁと感じる先生もいるでしょう。自分にふさわしい感覚の言葉を子ども達の心の中にしみこませていくことは、自然ないい方法です。
大事なことは、ご両親やご家族を大事にする清らかな心を先生と共有することです。

なお、道徳の時間の授業は『道徳読み』がおすすめです。学級の下地ができると、その色味がかかった子どもの読みも登場してきます。