【横山験也のちょっと一休み】№.3755

木更津技法研のセミナーに参加しました。
私にフィットした、実に有益なセミナーでした。
講師の先生の話が、私にとってあれこれ頭が働く実に適切な内容だったからです。

大きな発見があったのは、植田先生の講座です。テーマは「素材研究について」です。
国語の教材研究を3つの段階に分けています。
「素材研究」→「指導事項研究」→「指導法研究」となっていますが、真ん中は「教材研究」ではないかと思います。
元々は野口先生の教材研究の仕方です。それを山中先生が力を入れて実行しています。
そこに続くように、植田先生が歩んでいます。

素材研究の段階では、教材文の脇に思いついたことを書き込んできます。植田先生もびっちりと書き込んでいました。さすが、野口先生の直弟子です。

有難かったのは、その書き込みをフロアの先生方にもその場で行うように設定してくれたことです。私も書き込みました。書き込みつつも、頭の中はかなり冷静で、自分が文章のどこに書き込みをしたくなるのか、それを気にしつつ書いていました。
よくわかったのは、
1、普通と違う所に目がいく
ということです。
教材文が「海の命」でしたので、「父親たちが住んでいた海に」という所は気になります。普通、海には住まないからです。普通と違う所は発見もしやすいですし、書き込みもしやすいです。
これは理にかなっています。人が気になるのは、普通とはちょっと異なるところです。普通の道路を歩いていても何も道路から感じませんが、大きな穴があったり、亀が歩いていたりすると、「おおっ」と思います。何かしらの思考が始まります。
同様なことが教材文の素材研究でも起こるわけです。

書き込みのポイントとなるところが見つかると、直後に「それをどう書くか」が問われてきます。ちょっとした頭の働かせ所となります。
何となく感じたことは、
2、ある種の視点が発生して書き始める
ことです。
そんなことを思いつつ、書き込んでいたら、講師の植田先生が自身の書き込みをいくつか披露してくれました。書き込みをしつつ、聞こえてきた言葉に「ああ、論理的な方向に書いているなぁ」と頭が反応していました。
素材研究は素直に読むのですが、そこにはある種の視点があります。何も考えずに感じたことを書くというのは、言葉の上はなんとなくわかるのですが、現実的にはできなません。脳から湧き出て来た何らかの視点に従って書くわけです。つまり、教材の言葉から結び付いた何らかのことを、脳が引っ張り出してくるのです。そこに視点が内包されているため、湧いてきたある種の視点を持って書くことになります。

その「ある種の視点」は、「道徳読み」の「道徳さがし」「道徳みつけ」に重なります。自分がどう読みたいかに関わると言うことです。神奈川の安達先生が「道徳読み」が歴史人物の資料の読みに有用であることを話してくれましたが、まさに安達先生の感覚こそが、どう読みたいかなのです。

この時点で大きな収穫を感じました。
どう読みたいかが意識できると、面白みが増すということです。
素材研究では、一つの意識から視点で一貫して読み進め、書き込むもいいです。また、ここではこう読み、こちらではこう読みと、途中で意識を切り替えるのもまた良しです。

ですので、私は「海の命」を「赤毛のアン読み」で読みたくなったのですが、ふと取りやめ、「人格読み」をしてみたくなり、やたらと「立派です」などと書いていました。

ようやく、ずっと以前から思っていたことが、かなり明確になってきました。
この読み方を子ども達が行えると言うことです。教師が面白いと感じる読みは、子ども達も面白いのです。教材文を読む楽しさを子ども達に体感してもらう、これが大事なポイントです。