論語も好きですが,『日本書紀』も好きで,時々読んでいます。人の名前が出てくるのですが,その数がおびただしく,その上,妙な感じの読み方をするので,何が何だか???という感じになります。
  それでも,面白いので,時々読んでいます。

  日本書紀は「和語」の宝庫です。
  小学校で「漢語と和語」の学習をすると思いますが,この単元が「ちょっと好き!」という先生は,お時間のあるときに,『日本書紀』をちょこっと見ておくと良いです。いろいろな言葉が全部「和語」で出てきます。辞典には出てこないようなマイナーな言葉もあれば,今や意味不明な和語がざくざくと出てきます。

  その一例をお話しします。

  人の人数を数えると,普通,「一人(ひとり)」「二人(ふたり)」「三人(さんにん)」「四人(よにん)」・・・と数えます。
  これが,奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史である『日本書紀』では,読み方が違うのです。

  一人・・・ひとり
  二人・・・ふたり
  三人・・・みたり
  四人・・・よたり
  五人・・・いつたり
  六人・・・むゆたり
  七人・・・ななたり
  八人・・・やたり
  九人・・・ここのたり
  十人・・・とたり
 二十人・・・はたたり
 三十人・・・みそたり

  ここまでで,十分,満足できます。

  気になることが,出てきます。
  1つは,「一人」「二人」までは今も和語。でも,「三人」からは漢語の読み方になっています。いったい,なぜ,こんなところに分かれ目が出来たのでしょう。
  2つめは,「ひとり」は,もともと「ひとたり」。「ふたり」は「ふたたり」だったのではないだろうか。
  
  1と2には,ちょっとしたつながりがあるように思えています。
  「一人」「二人」は,数えの始まりなので,頻繁に使います。それで,言葉が縮まったのではないかと考えています。
  同様に,「ひとり」「ふたり」はあまりによく使われていたので,漢語にならなかったようにも思えます。また,昔は「三」に「たくさん」という意味を込めていました。「八」にたくさんの意味があるのと同様で,たくさんの始まりは「三」だったのです。それで,「たくさん」は学術的にしたくなって,漢語で「さんにん」「よにん」と呼ぶようになったのではないかとも考えています。

  『日本書紀』は,こんな推理を楽しむことが出来ます。
  ※私が読んでいる日本書紀は岩波文庫です。全五巻。とっても面白いです!!