【横山験也のちょっと一休み】№.3755
歴史人物学習館のon-lineセミナーで、「道徳読み」の話をしました。
定刻の5分前に入ったところ、藤岡信勝先生が参加されていて、大変ありがたく思いました。
若いころに、いろいろとお話をさせていただいたことがありましたが、30年近く御無沙汰をしていました。
オンラインというディスプレイ越しですが、藤岡先生と交流できたことが何よりの宝となりました。
セミナーは、30分ほど私が「道徳読み」について話し、その後、質疑応答。最後に重鎮からのコメントを頂く流れです。
その重鎮のお一人が藤岡信勝先生でしたので、大変ありがたいことと感激しました。
その藤岡先生から10分間もコメントを頂きました。その中に、なるほどと思わされた質問がありました。
真善美ということばがあるが、「美」をどう考えるか。
思いがけない質問でしたが、これは大事であることは誰もが認めることと思います。
しかし、私はそれを上手く話せませんでした。
美の基は何か、美の根っこは何か、と考える方向に頭が巡らなかったからです。
情けないことに、美が大切であることを帝王学として書いている本を思い出してしまい、そっちに頭が取られていました。
まず基本は根っこです。その根っこを明らかにすることです。
すると、浮かんできた帝王学の本の内容が、その先の所に位置していると理解できます。
美の根っこは「恥」にあります。
「恥ずかしい」と思う心です。しまったと思った瞬間に、誰でも感じる気持ちです。小さい子でも、「恥ずかしい」と口にすることがあります。
この恥ずかしいという気持ちはどこにつながるかと言うと、「礼儀」につながります。きちんとしているとか、整っているとか、礼儀正しいとか、姿勢がいいとか。
それがうまくできていないと、恥ずかしいとなりますが、より高まると「美しい」と感じてきます。
こういった、美を道徳から話すことを、問われた時に話せるようでないと、未熟者となります。恥ずかしい状態です。私にはまだまだ修養すべきことがあるということになります。
藤岡先生のご質問で、私は恥じ入ることができ、おかげで考えることもできました。ありがたいセミナーになりました。
このセミナーへの御縁は、安達弘先生から頂きました。感謝しています。
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