b7853横浜の山内小学校の6年生の皆さんに見せた「人生の図」がこれです。
これから先をどうしたいか。
できれば,グッドな方向にグイッと歩ませたい!
そんなときにこの図を使います。

まず,折れ線グラフのような図を書きます。
原点からの縦横のラインを引き,学年の目盛りを打ちます。
6年生の3学期に入ったばかりですので,6年の所だけは3等分します。

次に,原点から右上がりにラインを引き,「今,皆さんはここにいます」と,自分たちの立ち位置を示します。

最後に,卒業式までの未来の図を書き加えます。
「このまま順調に進むと,このあたりにたどり着きます。
これを『普通』と言います。」
続けて話します。
「でも,ちょっとダレてしまったり,やる気がなくなってしまうと,こちらに進みます。
これは『低』です。」

そうして,子供達に聞きました。
「普通と低。どっちに進みたいですか。」
それぞれに挙手を求めました。
しかし,誰一人手を挙げません。
できる子供達です。
誰も手を挙げない光景を見て,「自分たちはもっと伸びるんだ!」という強い意識を感じました。

b7852そこで,図に付け足しをしました。
「高」の存在を知らせ,その中の上の方には「最」という所があることも知らせました。

「最高」を目指す。
でも,「最高」にたどり着けるかどうかはわからない。
でも,たどり着けるように心を強くして前進して行くこと。
これが大事なのです。
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このように未来を正しい方向に力強く歩むこと。こういった道はきわめてまじめな道徳です。
孔子が活躍をしていた2500年もの昔から当たり前のように言われていることです。
「子曰わく,君子は上達し,小人は下達す。」(『論語』憲問第十四)
しっかりした心を持っている人は上に達しますが,そうでない心では堕落するのです。

昔から良いとされる所の教えを,私も子供達に伝えることができました。
ありがたい一時でした。
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ところで,論語など古典には,このような図は出てきません。
もし,この「人生の図」が論語の時代に示されたら,どうなるでしょう。
まず,誰一人理解できないでしょう。
なぜなら,この図には「座標」という算数数学の概念が用いられているからです。
座標はデカルトが作ったとされています。
1600年以前の人には,基本的に理解不能な図なのです。
日本では江戸時代までの人たちにはかなり複雑な図として映ると思います。

そんな「人生の図」。
日本の小学生はすんなり理解します。
小学校の先生方が熱心に算数を教えて下さっているからです。
そういう教えの場がつくられている日本の教育システムにも感謝の気持ちが起こってきます。
道徳を勉強するにも,算数や国語の学力は大切なのです。
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