かけ算九九の呼び声を文字にするとき,たいていは「三四 12」などと,漢数字→アラビア数字の順に書いています。
ふつうの数字ではなく,かけ算九九であることへの識別が高くなります。こういう工夫は,良い工夫だなと感心しています。

アラビア数字が日本で普及したのは,明治時代に小学校で教えるようになってからですから,それ以前には漢数字で「三八 二十四」と表していました。
また,大字(壱・弐・参など)を使った表し方もありました。
それが,先日以来読んでいる江戸時代の農業専門書『百姓伝記』(下巻)に出てきました。
「一壱の一」「一一の壱」の二種類です。感動しました。

九九を使った表現として,「五七日」も出てきました。今の時代は人が亡くなってから35日目の日をさしますが,この本では農作業の35日の意味で用いています。
この「五七日」というのも,面白い表現で「7日が5つ分」という意味になります。小学校で教えるかけ算の意味(5が7つ分)とは逆になっています。
こういうところに気がつくと,昔の九九の意味は,今と同じだったのか,逆だったのか,どっちでもよかったのか。こんな所が気になってきます。
「五七日」というのは仏教で使われていた表現ですので,それが農業にも応用されて使われたのではないかと推測しますが,このあたり,今後の読書課題になりそうです。

b8598_292江戸時代に入り,かけ算九九は「一一が1」と一の段から唱えるようになりました。
これと,世界観を表す「天地人」とを結びつけた云い伝えのような話しも載っていました。

一は易で物事の初めとされ,「天」。
一一と続くと,「天地」の心を表します。
一壱の一となると,「天地人」の意味になります。
世界は,「一一が1」から始まるという意味です。

こういうことが書かれていると云うことは,九九は物事の全体(始まり・終わり)を象徴する事例だったのだろうと思います。ちょっとした,江戸時代の生活思想をみた気持ちになりました。

1680年代に易に及んで文章が書けるのですから,これを書いた人(不明)は,ただの農民とは思えません。書物を手にでき,それが読め,しかも,かなり若い頃から師匠について学んでいた人と思えます。