【横山験也のちょっと一休み】№.3789

明治37年の家庭教育の本『なかよき友達』を読みました。
明治37年というのは1904年ですので、今から120年以上も前の本です。

その中に、「松茸山の狼」という話があります。
ざっくり、次のような話です。

兄弟のように仲の良い小学生2人が、奥山へ松茸をとりに行きました。
山に入るとたくさんの松茸があり、おもしろがってたくさんとっているうちに、日が暮れ始めました。どうしようと泣きかけたのですが、仲の良い友達同士だったので、恐ろしいものが出ても、死ぬだけのことだと、騒がずに山を下り始めました。

突然、2匹の狼が出てきたのですが、これが不思議と二人を襲わずに、横道に入っていってしまいました。二人は駆け出したのですが、また1匹の狼が出てきます。驚いて、逃げようとしたら、その狼が声をかけてきます。
「もしもし坊ちゃん方お待ちなさいまし。私は決してあなた方をとろうとして来たのではございません。私はあなた方をお助けもうそうとして参りました送り狼でございます。」

読んでいた私が驚いたのは、狼のセリフの中の「送り狼」です。私の人生で学んできた意味とは全く違ってたことです。
親切を装って女性を送り、途中で襲うけだものという意味が、私の中の送り狼でした。
しかし、明治37年の家庭教育の本では、安全を見守る大変立派な狼なのです。

一体、どうして意味が変わってしまったのか。そこが気になり、手元の辞書を引いてみました。

昭和44年の『広辞苑』第2版
①山中などで、人の後を追って来て襲う狼。
②表面は好意的に人(特に婦人)をおくりとどけながら、途中でこれに乱暴をはたらく危険な男。

②は、大筋私の中の意味と同じです。

昭和10年『辞苑』(広辞苑の前身)
①山中などで、行人の後を追う狼。
②女義太夫などの後を追ひ行くたはけ男。

①の意味に「襲う」がありません。だからと言って、いいことをする狼ということにはつながりません。「襲うのか親切か」という尺度ではちょうど中間あたりに位置する意味になっています。

昭和7年『大言海』(平仮名部分は片仮名)
狼の、人の後につき来ること。人馳すれば、狼も馳す。
人の、人の後をつけつけ狙うに譬へて云ふ。

辞苑と同時代の辞書ですので、このころは、「襲う-親切」尺度の中間あたりの時代だったのでしょう。

大正元年『言海』改版
未掲載

この言海に載っていてほしかったのですが、言葉が選ばれていませんでした。小さな辞書ですので、致し方ありません。

明治37年の家庭教育の本から、狼に対する日本人の心を知らされた思いになりました。狼は襲う獣ではなかったのです。狼は山で遭難しそうな人を見守ってくれる大変ありがたい生き物だったのです。

そう思うと、おおかみの漢字が、誠にその通りと見えてきます。
「狼」です。「けもの」ですが、「良い!」のです。
人を守ってくれる「良いけもの」なのです。
明治時代、あるいはそのずっと前の時代から、おおかみは良い生き物だったのでしょうね。

そんなことも知らずにいて、狼にも先達の日本人にも申し訳なく、恥じ入る気持ちになります。

《 影ならぬ 心の奥を 見わたせば    狼さえも 道の友なり 》


こちらは『道徳読み』の本です。