b7484「学びて時にこれを習う
また説ばしからずや」
「朋 遠方より来たる
また楽しからずや」
この2つ。
先生くさく考えると,「学んだら復習をして,そうして,友達が遠方からも来てくれるような人になりましょうね」と言いたくなります。

どのようにしていくことが良いことであり,どうなることが大切なのか,そういう見方はそれなりの説得力を持ちます。
だから,そうなのだなとの思いが湧いてきます。
それとは別に,やはり,心の様子を記している「説(悦)」と「楽」の文字が心にグッと響いてきます。

悦と楽。
悦は一人で感じる喜び。
楽は人と分かち合う喜びです。

少し脱線しますが,小学生の道徳には,「主として自分自身に関すること」と「主として他の人とのかかわりに関すること」があります。
この悦と楽は,そこへの心のあり方を示しているように思えます。
指導要領を読むと,「自分でできることは自分でやり,よく考えて行動し,節度のある生活をする」など,いろいろと記されていますが,何をどうするという示し方が目立ちます。
きっと,これは道徳の入り口の表し方なのでしょうね。
節度のある生活をしたら,その生活をしていることを悦しいと感じられる日がやってきますよと,教えられたら良いですね。

そうして,「朋」です。
普通は「友」なのですが,道を歩み始めると,「朋」と「友」にはそれなりの違いがあるとされています。
b7485「友」は志を同じくする人で,「朋」は師匠を同じにする人となっています。
こういう区別があることを知っていても,それを区別して使うことはありません。
要するに,同じ師匠の下で学ぶ仲間や,同じ方向で仕事を進める仲間。
それが朋友なのです。
そういう人が自分の所にやってきたら,それは話も弾みます。
まさに,極めて楽しい一時になります。
こういう一時こそが,まことの極楽なのです。

道徳に力を入れている先生には,論語を読んで欲しいと思います。忙しいのはわかっていますが・・・。
日めくりの『教室論語』が教卓の上にあったら,クラスが少しずつ変わっていくでしょうね。
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