いよいよ3月31日です。
大学時代の同期が,本日を持って,みんな退職です。
私達の時代はこれで終焉です。

時代が終わったということは,やらねばならないことが0に近くなった,ともとらえることが出来ます。
0ぐらいで普通となります。これがわかると,退職後はやりやすいです。
ちょっとでも良い感じになれば,すぐにプラス(立派)となるからです。

もうすぐ新年度がスタートします。
学校での勉強もはじまります。
自然,宿題も出るようになります。

新年度の宿題に何を出すか。
そんなことを考える先生は普通いません。
宿題は成り行きで出てくる傾向が有るからです。

私が出した宿題でもっとも喜ばれたのは,作法の宿題です。
帰りの会で,明日の予定を板書します。
続けて,宿題を書きます。

「宿題:玄関のはきものをそろえる。」

この手の作法の宿題を出されたことがないので,子ども達はビックリします。
「先生,それが宿題ですか」と疑いの声を上げる子もいます。
驚く子ども達に,玄関は家の顔であることを話し,靴がそろっていると,それだけで「良い玄関」となり,「良い家庭になる」ことを話しておきます。

この宿題を毎日出します。
根気よく出します。
すると,「先生,私は玄関を掃きました!」とサプライズをつけて作法を実践する子が出てきます。
「必ずやる」という範囲が小さいと,すぐにプラス(立派)が生じるのは自然の摂理です。
嬉しそうな顔をして褒めたくなります。
善行を自然に行い,それを自然体で褒める。
この流れが生じるのが「作法の宿題」です。

また,ちらりほらりと,お母さん達からの喜びの声が届くようになります。
「先生に教わってから,うちの子が玄関をきちんとしているんです。」
「先生,続けて出してください。家でも躾を教えたいと思います。」
喜びと共に,継続を願うお母さんもいます。
「よかったですね」とか,「はい,続けるようにいたします」と,返事をします。

また,「先生,もっと範囲を広げてください」とお願いをされるお母さんもいます。
こちらは,残念ですが,応じないようにします。
代わりに,靴をそろえること以上の作法をしたら,それを「進んでやっている善行」という目で見てもらえるように話します。

孟子玄関の靴をそろえるという宿題は10秒もあれば,終わってしまう宿題です。
実に,容易な宿題です。
それでいて,家族全員のことを考えるあれこれが心にわき出てきます。
続けることで,何かが変わってきます。
孟子に「道は近きにあり,事は易きにあり」とあります。(離婁(りろう)章句上)
言い得て妙です。

「道徳は善行の繰り返し」なのだとつくづく思います。
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