【横山験也のちょっと一休み】№.2424

■杉田玄白が腑分け(解剖)を見聞した日が■
本棚から読んでなさそうな本をとりだしました。
『人間と数学・数学と人間』(黒田孝郎著、共立出版)
江戸や幕末の頃の引用が多く、なかなか読み進まないのですが、面白いことが書いてありました。

『解体新書』で有名な杉田玄白が、解体新書を翻訳を決意した時、腑分け(解剖)があるとの情報が入りました。
その場所は千住の「骨が原」。なんともな名前です。現在は「小塚が原」となっているようです。
この腑分けが行われたのは1771年(明和8年)なのですが、その日がなんと私の誕生日と同じ日でした。
奇縁を感じました。

まだ、序盤なのですが、もう一つ、面白い話に出合えました。

1868年は明治になった年ですが、元号が変わる前の慶応4年に、長崎の「精得館」でオランダ海軍軍医2名が医学校の立て直しを話し合いました。
その一節に、次のようにありました。

「凡べて日本の学生はいまだ医学生たる資格を具へざるものなり、理学化学はさらなり算数の事さえ心得たるもの稀なれば、此の人々に対して医学を講習するのは幾んど無益の業なり」(p31)

この当時からして、ヨーロッパの人たちは算数数学は科学の基礎とわかっていたのです。
こういうことを知ると、力が湧いてきます。
算数は大事なのです。
今の時代はそれがいっそう鮮明になっています。

アフリカは全般的に算数が劣ります。
4択の問題で平均点が30点前後ということがあります。
厳しいものを感じますが、これは日本生まれの算数ソフトIMの登場を待っているのだろうと思えてきます。
来年が楽しみです。

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