【横山験也のちょっと一休み】№.3410

『数覚とは何か?』を久しぶりに開いて、付箋を貼った所を読み返していました。
線も引いてあるのでページを開いた瞬間から目に飛び込んでくる言葉があり、私にとって品質の高い内容が伝わってきます。

ちょうどそこには、日本語や中国語は数唱の発音が短いという特徴もあり、特に中国の広東省は短いとありました。
これが数の獲得に欧米人より有利に働いているとのことですが、広東省の数唱の言い回しが気なり調べてみたら、<こちら>に発音が出ていました。
せっかくですから0から10まで聞いてみたところ確かに短いと感じますが、日本語のイチ、ニ、サン…もかなり短いので、どっこいどっこいと感じます。

また、数の獲得には「数と桁」の組み合わせがきちっとしている方がよく、英語のようにイレブンやトゥエルブなど組み合わせが崩れるところがあっては都合が悪くなります。

そこから頭がマイペースになり、そもそもの日本語である和語での言い回しが気になりました。ひとつ、ふたつ、みっつ…と数えますが、この「つ」は1個2個3個などの個に該当するものなので、これを省いた「ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの、とお」となります。
これで、もし、35を数と桁に合わせて言い表したらどうなるかと思い組み合わせてみたら、「み とお いつ」となります。56なら「いつ とお む」です。数と位取りの組み合わせに合わせていくと簡単な言い回しで言えるので、和語のまま数を獲得してもよかったのではないかと思えてきました。
しかしながら、和語での35は「み とお いつ」とは数えません。30歳のことを「三十路」と呼ぶことは、そのあたりの年齢に近づくと飛び交う言葉なので30を過ぎた方々には慣れた言い回しとなっています。山本五十六から五十はいそとなることがわかります。ニ十歳ははたちなのではた。十の位の言い回しが数と桁の組み合わせからずれてしまっています。さらに、和語での35は「みそ あまり いつ」と桁と桁の間に「あまり」を加えます。多分に中国語の有に準じて読んでいるうちに定着したのだろうと思います。これでは数を言うだけで一苦労となり数の獲得に不向きとなります。

こんなことを思うと、今の算数で漢語で数を学んでいるのは数の獲得に非常に有利な状態にあるといえます。また日本語の数の発音は漢語といっても呉の時代の発音なので今の中国の音とは違っています。この呉から伝わったイチ、ニ、サン…という呼び方は、ちょうど5と10という区切りの良いところで濁ります。いち、に、さん、しと清音が続き、ごで濁ります。ろく、しち、はち、くと清音でじゅうで濁ります。濁ると言葉に力が入るので、これが区切り目の印象をよくしてくれています。
ここまで考えに入れると、日本語の数唱は世界一獲得に有利な言い回しのように思えています。

その一方でちょっと残念なことも進んでいるようです。10年ほど前のことですが、あるセミナーで算数の話をしたときのこと、和語で一から十まで言ってもらうために若い先生を指名しました。すると四つ五つぐらいまで進んで、「あれ、なんだったけ?」となってしまいました。緊張もあったかもしれませんが、それほど忘れやすい程度にしか定着していないのが現状と思いました。この先生は例外的な先生だったのかもしれませんが、このまま進むと50年後には一つ二つ三つぐらいまでしか数えられれないのが普通の日本人となるかもしれません。

下の2冊は、私の書いた小学校の先生向けの算数の本です。
面白い教材が載っています。

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