【横山験也のちょっと一休み】№.3780
いつもながら、算数の話をしましょう。
算数の時間は、たいていの場合、教科書に書いてある学習となります。
それが教える先生の仕事ですから、そうすることが何より大事なこととなります。
それはそうだとわかっていても、ちょっと変わったことを子どもたちに教えてみたくなるのも、教師の心模様です。今日は、そんな話です。
そのちょっと変わったこととは、わり算の筆算です。変わっているのは、わられる数の1か所が空欄になっていることです。
このままでは、計算できません。
そこで、子どもたちに話します。
「3で割り切れるようにしたい。□の中に入る数を教えて」
虫食い算を解いていくタイプの問題です。
子どもたちは、四角の中に適当に数を入れて、わり算をやってみて、「わかった!〇だ!」と声を上げることになります。
先生はそれをにこにこしてみています。
1つの解答を見つけて、「やったぜ!」となり、思考が止まる子もいます。
すると、別の解答を見つけ出す子が出てきて、「なにっ!!」となります。
答えは3通りあります。1と4と7です。
問題の答えが3つともわかったところで、ちょっと話をします。
「みなさんは、この問題を解くのに何分もかかりましたね。
先生は、10秒もあれば、答えが分かります。」
そんな話をして、今度は「5ケタ÷3」の問題を誰かに作ってもらいます。ただし、一か所だけ□にしてもらいます。
それを黒板に書いてもらい、先生は「ふむふむ」と黒板を見ながら、頭の中で簡便法を用いて答えを見つけ、あっという間に、「一つの答えは〇〇です!」と話します。
すると、子どもたちはどうなるでしょう。
「先生、すご~~い!」です。
「先生、すごーい状態」というのは、教育的にとても大事です。
先生をすごいと思うと、学ぶ姿勢が変わります。この先生から学びたいと前向きになります。
逆に、「なんだ、センコー状態」は学びが進みません。受け付けようとしないからです。
こういう状態を、若いころはパチンコのチューリップに例えて、仲間の先生に話していました。
面白いとか、すごーいとか、そういう状態になると頭のチューリップが開きます。上から降ってくる勉強をジャンジャン受け入れてしまいます。
しかし、先生のことを見下している子の頭は、チューリップが閉じています。勉強は同じように降ってきますが、ほとんど受け止めず、はじき返してしまいます。
南郷継正は、こういうたとえを使わず、これを認識論として把握し、イデオロギーとして書いています。
今の時代はイデオロギーなどと書くと、なんだか気難しそうな気もします。
私はこれを教室文化と考えています。
この先生から学びたいという文化を作ることです。そういう学級文化が育っていくと、チューリップは開くだけでなく、花びらが伸びて長くなり、受け止めがより一層大きくなります。
このような学びの基本構造に関わる良さが、こういったちょっと変わった問題には内包されています。
さて、どうやったら、10秒程度で答えがわかるのでしょう。
6年生で学ぶ約分にヒントがあります。3で割れる数は・・・と教えますね。
あれです。あれを使うと、わり算をすることなく、答えが分かります。
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こちらの3冊には、楽しい算数の教材アイディアがたくさん載っています。
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