【横山験也のちょっと一休み】№.2069

◆宇佐美寛先生の『教師の文章』(さくら社)が本日発売になりました。
嬉しいです。

「道徳読み」を知ると、教材文をもっとよく読めるようになりたいという気持ちが高まってきます。
それを感じたら、この本をお勧めします。
教材文を読む目が変わってきます。
鋭くなり、豊かになります。

◆アマゾンで『教師の文章』を見たら、787位となっていました。
お買い求め下さったり、知らせて下さった皆様のおかげです。
感謝しています。
1000位を切ったこと、素直に嬉しいです。

◆帯。そこに写っているのは、宇佐美先生の生原稿です。
じっと見ていると、推敲の大切さが伝わってきます。
達意の文章を書き続けている宇佐美先生ですら、何度も推敲されます。
勉強になります。

◆「勉強」と「参考」の違いを教えて下さったのも、宇佐美先生です。
学生時代、勉強をしている時、学びの中心は教科書です。
ですので、教科書は机の中央あたりに置きます。
それを補うのが参考書です。
参考書は端に置きます。

先輩から何かを教わって、「参考になりました」と返事をすると、恥をかきます。
先輩の教えは机の端の方に置いておく程度のものですよと言っているようなものだからです。
「勉強になりました」と返事をすると、殊勝な心がけと思われます。
先輩の教えを机の真ん中に置いて忘れないようにしますと言っているようになるからです。
以来、私は「勉強になりました」と用いるようになりました。

60を超えると、出会う人がみなさん後輩になりがちです。
その後輩からも教わることがあります。
そういうときにも、「勉強になったよ」と言います。
「勉強」と「参考」の違いが分かっている後輩は少々恐縮をし、お役に立てたことを喜んでくれます。
ありがたい後輩と、私も感じ入ります。

しかしながら、こういうことを知らない人には、どっちで言っても大差ありません。
知らないのですから、致し方ありません。
だからといって、その人にはどっちでもいいやとはしません。
相手はどうあれ、自分は敬意をもって「勉強」と用いるのを礼儀だと思っているからです。
そうして、度を超すと、「勉強」と言ってさえいれば良いのだと、返事が記号化します。
こうなると、敬意が薄れます。
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