【横山験也のちょっと一休み】№.2411

今月のSG会は第4土曜日です。
普通は第3土曜日なのですが、今月は22日の土曜日となっています。
午後5時30分からのスタートです。
場所は、明石先生のオフィスです。

課題図書は『うちの子もいじめられました』です。

同じ日に、「チーム横山」を開催します。
午後2時~5時チョイ前ぐらいまで。
場所は、いつものジョナサンです。

■「お釣り」の計算は、そろそろ寿命が来そうです■
算数について、あれこれと思いを巡らせています。
「500円持って、420円の買い物をしたら、お釣りはいくらになるか。」
というような問題が、最近ちょっと気になっています。

このような仕立ての問題は、いったいいつまで出題できるのでしょうね。

「現金を出す」という文化が、もう少し先には珍しい形となりそうだからです。
カードをかざして、ピッ!と鳴ったら、おしまいです。
そこには、「お釣り」という概念がありません。
あるとしたら、それは「お釣り」ではなく、「残金」です。

「お釣り」は現金を使うときに、派生的に生じた現象です。
現金のやり取りが無くなれば、その役割は消えます。

すると、残金を求める問題になっていくのかな、と思えます。
しかし、それは無理です。
残金を「計算する」ことが、お店で生じないからです。
計算をしなくても会計が済むようになっているからです。

でも、残金不足にならないように買い物をするには、レジに行く前に、ざっくりとでも計算することが必要ですよね。

そう思う人もいると思いますが、その時は、必要度の低い品物から順に返品すればいいだけのことです。

次第に、「買い物という設定で計算をするのは、現金を使っていた時代の人の考え方」「昔の考え方」「今の子にはピンとこないわよね」と思われるようになっていきます。

買い物で計算をしなくなったら、何のために「計算を学ぶ」のでしょう。
その答えは単純です。算数で必要だから、となります。
約分・通分が何のために必要かと言うと、分数の計算をするためです。
これと、ほぼ同じように、計算自体には大きな意味が無くなっていく時代に向かっています。

買い物の設定が古めかしくなったら、どんな設定で計算を教えることになるでしょう。
長さでしょうか。重さでしょうか。
これは順番が逆になるので、ありえません。

お金ではなく、記号化した物になるだろうと思っています。
具体物でもなく数字でもない、その中間の半具体物です。

算数も時代の中で息づいているのだなぁと、妙に感心しています。

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