【横山験也のちょっと一休み】№.2677

■ 戦前の算数:小数の概念が違っていた? ■

戦前の算数について、当時の教師用指導書から引用しつつ、2回書きました。

1、戦前の算数:小数の呼び名   <こちら>
2、戦前の算数:小数の読み上げ  <こちら>

そこに書いた戦前の小数を図にすると、右のようになります。

小数は赤の部分で、0.15など、0.で始まる小数を、「小数」と呼んでいました。
他の小数(青の部分)は、整数を帯びているので、「帯小数」と呼ばれていました。

なぜ、赤い部分だけを「小数」と呼ぶことにしたのか、それが気になり調べてみました。
戦前にも良い辞書が発売されていて、私の手元に広辞苑クラスの分厚い辞書があります。三省堂の『新修百科事典』(昭和9年)という辞書です。

これの「小数」の項目を引用しましょう。
見出し語は「志ょうすう」で、脇に「セウスウ」と示されています。

志ょうすう(小数)
普通は十進記数法に於いて
10,100. 1000… 等を分母とする分数、
7/10 23/100 19/1000 はみな小数である。

10分の7とか、100分の23も小数であると記しています。
割り切れるから小数なのだな、と勝手なことを思っていると、どうも、そうではなさそうです。


これを簡単に0.7・0.23・0.019 のように書き表はす。

時代が伝わってきますね。
分数での表記は難しく、小数での表記は簡単ということです。
日本は江戸時代にそろばんが発達し、その後、明治になって西洋から分数や小数が輸入されました。
小数は数の並びの間に点が入るだけですので、それまでの日本の算数(和算)とスタイル的には似ています。
ところが、分数は上と下に数字を書きます。見慣れなかったのでしょうね。
余談ですが、3分の1などという言い方は、すでに中国から伝わっていて、江戸時代の本にはたまに出てきています。
しかしながら、あまり一般的には使われていなかったようです。


「. 」或いは「, 」を小数点といひ、
其の前の0(時にはこれを略する)は
整数第一位を表はす。
整数を帯びた小数、例へば45.89の如きを帯小数といふ。

大人向けの辞書にこのように出ていたのですから、小学校だけでなく一般的にも「小数」と「帯小数」とは区別されていました。

では、なぜ、0~1の範囲の小数だけを小数と呼んでいたのか、という疑問が起こります。
頭に浮かんできたことは、和算の頃の「大数」「小数」と関連しているのではないか、ということです。

江戸時代の算術書として有名なのが吉田光由の著した『塵劫記』です。
この本の1項目が「大数」です。2項目が「小数」です。
その記憶があったので、和算について記している本を開いてみました。
しかし、そこには載っていませんでした。
数学の先生が書いているので、当時の和算が西洋より進んでいたというような、ハイクラスの部分に力が入っているからです。

私が知りたいと思ってたのは、初歩の初歩といったところです。
「大数」「小数」の読み方です。
記憶では「おおかず」「こかず」なのですが、そうだったのかどうかの確認をしたかったのです。

本棚の奥に私の卒論がありました。和算について書いてあります。
もしかしたら、若かりし頃の私は、「小数」の読み方にについても書いているかもしれないと思い、パラパラ見てみました。

稚拙ですね。今なら、3日もあれば書けてしまうような程度のことに半年もかけていました。頭の働きも極めて直線的です。
愚かなりし頃のことと、思いました。

しばらくめくっていくと、「大数」にルビが振ってあるところに出くわしました。「おおかず」です。
その先を見ていくと、出てきました。
「小数」は「こかず」でした。

「大数(おおかず)」というのは一、十、百、千、万、億・・・のことで、
「小数(こかず)」は分、厘、毛、糸・・・のことです。
分は0.1 厘は0.01 にあたります。
要するに、小数(こかず)は0~1の範囲内を指しています。

なんだか、つながった感じです。

先の辞書に載っていた「7/10 23/100 19/1000 はみな小数」は「こかず」の意味を含んでいるように思えます。
0~1までの間の数は、それが小数であろうが、分数であろうが、そういうこととは関係なく、全部1より小さいので「こかず(小数)」というとらえ方なのでしょう。
それが、明治になり西洋から輸入された「しょうすう(小数)」にも適用されたと考えられます。

戦後は小数の意味が広がり、帯小数も小数の仲間になりました。
ですので、999999999999999999.99は数としてはとても大きいのですが、これも小数と呼ばれ、語感と合わない感じになります。

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