【横山験也のちょっと一休み】№.3314

鎌倉に鶴岡八幡宮があり、小学生の時の遠足でも行き、教師になってからは引率をしつつ何度か行きました。
ある程度は知っているつもりだったのですが、頼朝が鎌倉に移したと『吾妻鏡』に出ており、いたく驚きました。
戦に出る前に祈ったりしている様子が吾妻鏡に出ていたので、八幡宮がどこにあったらよいかということも、重要な事柄だったのだろうと思えます。
当時の政治家でもある頼朝は、こういうことも決断実行していたかと思うと、いつの時代もトップは忙しいのだとわかります。

まだ、ほんの入り口までしか読んでいないのですが、家康が吾妻鏡を愛読していた理由が少しわかった気がしました。
戦のあれこれもありますが、トップの決断の仕方も面白く読み解いていたのではないかと思えています。
明石要一先生の『教えられること 教えられないこと』にも、判断は教えられるが、決断は教えられないとあります。
その教えられないところを、家康は歴史書で疑似体験をして自らマスターしていったのではないでしょうか。

政子も鎌倉の新居に入りました。
私の鎌倉時代はこれからです!


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