【横山験也のちょっと一休み】№.3827
「ダウト読み」で国語の授業を楽しんでいました。
先生が教科書を普通に読み上げるのもいいですが、子ども達の中には、集中が続かない子もいます。私も小学生の時に経験があります。先生が教科書を読んでくれているのですが、途中から本文を目で追わなくなり、何か別のことを思っていたものでした。
そこで、ある時、ふと「ダウト読み」をしてみました。
1段落ぐらいの分量に区切って、「ここから、ここまで先生が読みます。でも、1か所か2か所、間違えて読みます。先生が間違えた!と思ったら、ダウト!といってくださいね。」と、こんな約束をして、読み始めます。
すると、子ども達は教科書を食い入るように見はじめ、やる気もグイっと高まっていました。
驚いたのは、何回かやったところで、「先生、先生が読む前に、少し読む時間をください」というような要望が出たことです。もちろん、進んで読んでくれるのは嬉しいことなので、OKしました。
さらに驚いたのは、次に読む段落をほぼ暗唱する子が出てきたことです。
これが「ダウト読み」です。
普通に行われる先生の範読との違いは何でしょう。
1,範読は先生が読みに一生懸命になる。「ダウト読み」は子どもが誤読を検知しようと一生懸命になる。
2,範読中の子どもは聞き役で受け身となる。もちろん、先生の読みをまねしたい、先生のように読めるようになりたい、という意識が育っていたら、それは能動的な聞き方となる。「ダウト読み」は子どもが誤読検知者となり、能動的な聞き役になる。だが、これは読みをまねしたいという方向には向かない。
こんなところが、浮かびます。
また、遊びの世界で言えば、「ダウト読み」は一種の「間違い探し」です。間違い探しは、2つの似たようなものがあり、その中に存在している相違を見つける知的な遊びです。
「ダウト読み」の場合は、先生の声と教科書の文とを照合し、そこに違いがあるかどうかを検知します。この時に重要となるのは、子ども達が、自動的に教科書の教材文を基準としていることです。その基準と照合して、音声の誤りを検知します。
ですから、基準となる教材文が頭に入っていた方が、検知が素早くできます。
素早く検知したくなるのは、集団で「ダウト読み」をしているからです。素早く見つけよう!ということは言わなくても、集団にわかるように「ダウト」と声を上げさせることが、遅れまいとする気持ちを生み出します。これが、「ダウト読み」の一つの世界となっています。
素早い検知をしたくなる「ダウト読み」です。当然、先生が読む前に、先んじて読みたくなる気持ちも高まります。また、覚えるように読めば検知は一層速くなります。教材文との照合の前に、記憶した教材文と先生の読みとの照合ができれば、その方が教材文と照合するより検知が速いです。だから、「自信がある人は、教科書を伏せてください。」などとハードルを上げることもできます。
また、覚える方向に向かうと、頭の中で教材文の〈まとまり〉が発生します。だいたいこんなことが書いてあるという話の筋が見えてきて、その筋と明らかに違う言葉が出てきたら、これは違うと検知するようになります。少し大きな目で見れば、読解力向上に役立ちます。
ところで、その教材文ですが、これは通常の文章ではなく、教科書に載せてもいいと認められた文章です。相応に品質の高い文章です。
その品質の高い教材文を自分から暗記しようと思う気持ちにさせることは、ただそれだけで国語学力の向上に役立ちます。
そう考えると、「ダウト読み」が単なる楽しい読みの学習とは思えなくなってきます。
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これは国語の話ですが、算数の楽しい教材はこの本にたくさん載っています。
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