【横山験也のちょっと一休み】№.3801
久しぶりに貝原益軒の「和俗童子訓」を読んで楽しんでいます。
読んでいるのは、「養生訓」も一緒に入っている岩波の文庫です。
この「和俗童子訓」について、ウィキペディアに「1710年、益軒が81歳の時に執筆した日本初の体系的な教育書といわれている」とあります。実際、元教員の私が読んでも、これは確かに!と痛感する素晴らしい内容が記されています。
この当時の学問というのは、ほぼ道徳を指していますので、和俗童子訓には、しっかりとみっちりと道徳を学ぶことが大切であると説かれ、どう学ぶとよいかも述べられています。
その中の1節に、次の言葉が出ています。
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人の善を見ては、我も行なわんと思ひ、
人の不善を見ては、わが身をかへりみて、其ごとくなる不善あらば、改むべし。
かくの如くすれば、人の善悪を見て、皆わが益となる。(p230)(本には改行は無し)
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これを読んで、あれ、これ何かで読んだような、どこかで聞いたような。
そんなことが頭をかすめた先生、まさにその通りです。
この部分は、『道徳読み』に記されています。

1.「ここに道徳があるな」と思えるところに線を引く。
2.その脇に、どんな道徳か言葉で書く。(p17)
1.その善いところを見て、自分もそうなりたいと思う。
2.その悪いところを見て、自分にもそういうところがありはしないかと思う。(p23)
『道徳読み』を出したのが、2018年の3月ですから、この2つを並べると、私が貝原益軒の本を読み、そこから道徳読み発案したと思えそうですが、そうではありません。貝原益軒の本は読んでいましたが、「道徳読み」を考案し、執筆するという肝心の期間には読んでいませんでした。
その頃、よく読んでいたのは『論語』を中心とした古典です。
しかし、これらの古典はすでに2000年以上も前の人たちの書いた本です。現代とは時代が違いすぎます。
当然、首をかしげるところもあります。
しかしながら、今の時代にも確かに通じると感じるところもあります。その現代にも通じるところは、昔も今も変わらない道徳、人間として普遍的な道徳となり得る。そのようなことを思いつつ、読んでいました。
古典からの学びと、現代における学校での道徳の授業。これを考えて生まれたのが『道徳読み』です。
たまたま読んでいたら遭遇した和俗童子訓の言葉ですが、ありがたい師匠と出会った気分になっています。
こういうことがあると、道徳を学ぶことは古の聖人と時空を超えて語らっていると感じられてきます。
これからも長いお付き合いをと思います。
