【横山験也のちょっと一休み】№.3488

明治4年の小学校の教科が、当時の新聞に紹介されています。
それによると、教えていたのは「句読」「諳誦(あんしょう)」「習字」「算術」の4科で、1年生では、算術は「数目、珠顆用法、名種数名、加表、加法、減表、減法」となっています。
習字は主に平仮名片仮名の五十音。
諳誦は五十音。
ここまでは1年生らしい内容なので、特に紹介するまでも無いのですが、驚いたのは、句読です。句読と言うのは読み方です。この内容に仰天しました。

句読の内容の筆頭に記されているのは「孝経(こうきょう)」です。かつて卒業式で歌われていた「身を立て名を揚げ やよ励めよ」の立身揚名(立身出世とは意味が異なります。詳しくは『孝経』(加地伸行著)を)の基になった部分も含まれている孝経です。これを1年生で読んでいたのです。また、句読の内容の最後に記されているのは、府県名です。今は4年生の社会で学びます。どこまで理解できていたかは分かりかねますが、孝経に府県名は大したものです。
特に、孝経のような道徳心をしっかりさせていく内容を1年かけて読み続けるのですから、相応に立派な人物が輩出したのではないかと思います。

この記事が載っていたのは『新聞が語る明治史』(土屋喬雄監修、原書房p102)です。
その翌年、明治5年にも小学校の記事があり、「修行は書算筆ノ三科」とあり、「書籍ハ銘々持参可致事」とも記されています。必要な本は、自分で持ってきなさいとのことです。このことから、明治初期は、すでに必要な本を入手できる世の中であったとわかります。そこを思うだけでも、日本は大きな読書文化を持っていた国だったと分かります。

1年生でこのレベルです。2年生になると、句読に「学庸論語」とあります。「学庸」というのは、「大学」と「中庸」です。論語は、あの有名な論語です。2年生で大学・中庸・論語を読むのですから、これにも驚かされます。
句読は読み方ですので、たぶん、素読をしていたのだろうと思いますが、この素読は加地伸行先生のお話によると、素読吟味という言葉の後半を略した言葉で、最後には吟味、今風に言えばテストが行われていました。ですので、単に読み上げるだけでなく、簡潔な意味を先生はお話になっていたのだろうと思います。

横道にそれますが、昔の小学校には、二宮金次郎の銅像がありました。薪を背負いつつ本を読んでいる少年の像です。その手にある本が、一説によると「大学」とのことです。
金次郎も読んでいた「大学」を小学校の教室で毎日素読していた先生が私の友達にいます。間違えた道には入りにくく、世のため人のために貢献する大きな心を持つ子に育っていったのだろうと思います。

私のような年齢になると、何をいまさらと思いますが、今からでもとの思いで論語などを読み返しています。

仕事部屋にある『教室論語』の解説文が好きで、大事な内容が簡潔に書いてあると読むたびに思っています。