北日本新聞北日本新聞,3月21日(土)の7面は,全面「春の教育書・保育書フェア」でした。

1段に8社,それが4段。合計32社分のスペースがあります。
上2段と下2段の間には,大きく「春の教育書・保育書フェア」と書かれています。

さくら社は上から2段目,左から3番目に2つの本を紹介させていただきました。
『教師教育』『子どもの作法』です。

御縁があり,北日本新聞さんのお世話になりました。
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新聞に会社の名前が出るのは,やはり嬉しいですね。“頑張っている”という気持ちになります。
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秋田で「不易流行」という演題で話すことになっています。
この言葉が日本で出来た熟語で,俳句の松尾芭蕉が奥の細道を巡っている間に生み出した観念ということは,有名な話です。

俳句を不易流行という視点で味わってみると,私のような素人でも,何とはなしに鑑賞しているなという気持ちになります。

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 (芭蕉)

山寺・立石寺で読んだ俳句です。
閑かだったのです。とにかく,閑かだったのです。
そこに大きな岩が有ります。
蝉が鳴いて,岩にしみ入るようで,良いですね。

字面から鑑賞する程度の私です。
それが,不易流行を知ることで,少し鑑賞がアップします。

不易(つまり,変わらないところ)は,閑かなことと岩です。
俳句を詠んだその日だけ閑かで,たまたまその日に岩があったのではありません。
何年も,何十年も,何百年も前からずっと,この場は閑かだったのです。そうして,大きな岩もそこにじっとして動かないのです。
また,これから先,何十年,何百年と,この閑かさと岩の存在は変わらないのです。
そこに,はかない命の蝉の声です。
たまたま鳴いた蝉と考えた方が感じが良いです。
一時の鳴き声,一時の命,一時の流行です。
そんなはかなさをもつ鳴き声が永遠に続いている閑かさの間を通って聞こえてきます。それに感動した芭蕉は,じっとしている岩にも鳴き声をしみ入らせたのだろうと思えてきます。
なんというか,「永遠の今」を感じます。

私の邪推による鑑賞はさておき,気になっていたのは,「不易流行」の「不易」です。
流行が変わるという意味なのは分かりますが,不易はなぜ変わらないという意味なのか,それが疑問なのです。
「流行=変わる」というほどのわかりやすさが,「不易=変わらない」には無いのです。漢字を見て思いを入れていくと「不易=やさしくない=むずかしい」となり,難しいのは変わらないと言うことなんだと,かなり遠回りでつながります。
しかしながら,ここでの遠回りはダメです。
「流行=変わる」のわかりやすさに対応していません。

そこで,易は易者と使われるように占いの意味だから,当たるも八卦,外れるも八卦で,そういう意味で変化しているとも思ってみました。
こちらもやはりダメでした。
漢字辞典で調べたら,占いという意味は順番が最後になっていたからです。
易を応用して使ったということなるので,これでは理由として通りが悪いです。

占い説はダメでしたが,熟語を見ている内に納得しました。
易の意味は読み方が決めていたのです。

エキ・・・「貿易」「交易」
イ・・・・・「容易」「安易」「平易」「簡易」「軽易」「難易」

エキと読む時は変わる意味で,イと読む時はやさしい意味なのです。
読み方によって意味がほぼ固定されている漢字があることが私には新鮮でした。
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