【横山験也のちょっと一休み】№.2856

戦前の文部省発行の古本を開いたら、最後の方のページに戦前の新聞の切り抜きが挟まっていました。
タイトルは
「第三次 近衛内閣閣員」です。今風に言うと組閣です。

中堅の先生が、組閣の一覧を切りぬいて、本の間に大切にしまっておいたのだと思います。
きっと、生徒さんたちに新しい政府の話をする時の資料として使ったのではないかと思います。
それを80年近くも後に私が見ています。

内閣総理大臣、近衛文麿。51歳。
陸軍大臣、東条英機。58歳。

最後の人は
情報局総裁、伊藤述史。56歳。

組閣されたのがいつなのかわからなかったので、ウィキで調べたら、昭和16年7月16日でした。

ウィキに「国務大臣」とされている所は、切り抜き新聞では「無任所大臣」となっていました。専門外なので、詳しいことは知りませんが、「無任所大臣」との名称は、どういう立ち位置の大臣なのか、うすうす伝わってくるので、これはなかなか良い名称だと思いました。

この記事には今では載らない内容が掲載されています。
その一つは、「位階勲等」。
東条英機は、「従三位勲一等陸軍中将」です。

また、住所と電話番号も載っていました。
近衛文麿の電話番号は、「荻窪■■■■」です。
一応、個人情報なので4桁の数は伏字にしました。

交換台のお姉さんたちが、コードを対応する所にさして、電話をつなげていた時代のものと思います。
せっかくの電話番号ですが、今では誰もかけることができません。

東条英機の住所も載っています。
グーグルマップで見たら、駅前の一区画が全部東条家だったようです。
近衛文麿の住所は、現在使われている町名ではなかったのですが、「荻外荘(てきがいそう)」として国指定史跡になっていました。
杉並区の荻窪(おぎくぼ)の郊外にあったということが伝わってきます。

この記事から感じたことは、「公人」のとらえ方が実に堂々としていることです。
公の人ですから、住所も電話番号も国民に知らせ、逃げも隠れもしないという覚悟が、平素から身についていたように感じています。

有田和正先生の「追究の鬼」という程ではありませんが、偶然手にした一枚の切り抜きから浮かんできた「ハテナ」をちょっと追究でき、一時を楽しめました。
おかげで、第三次近衛内閣が非常に身近になりました。
知識を得ていくというのは、こういう感じなのだと思います。


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