【横山験也のちょっと一休み】№.2328

■鬼澤先生のブログに「道徳読み一周年」が■
鬼澤先生のブログに「道徳読み一周年」という記事が出ています。
<こちら>です。

鬼澤先生は前任校から、道徳教育推進を担当していたのですが、道徳が思うに任せません。
そんな時に、道徳読みと出会い・・・。

なんというか、感動しました!!

私が、もし、「道徳読み」を知らずに、道徳の副読本の教材研究をしたら、どうなるでしょう。
鬼澤先生のブログを読んで、ふとそんなことを思いました。

以下、思い付きです。
「道徳読み」を知らないのですから、きっと、私は教材を読みつつ、頭の中は「授業の発問を考えなきゃ!」となります。
自分で「自分の頭は切れ味が良い」と思っているので、浮かんできた発問に、ちょっといい感じになります。
しかし、それもつかの間。
「発問しなくても、読めばわかるんじゃないの?」と自問してしまうでしょうね。

読めばわかるのなら、あっと言う間に授業が終わる「一読通過法」(読んでおしまいにするという究極の手抜き授業)で授業をやって終わりにするか、と思うかもしれません。
でも、それはあまりにも悲しいです。

やむなく、何か別のものを提示して・・・と、教材から離れて、授業の脚色を考えるような気がします。

いずれにせよ、場当たり的な、積み重ねの意識の無い、授業プランにたどり着くことと思います。

今は、「道徳読み」を知っていますので、教材研究に際しては、まずは教材の持つ道徳を自分なりにしっかり受け止めるという頭と心の作業を行います。
「道徳見つけ」教師編、という感じです。

この意識で教材を読むと、不思議なのですが、読むたびに変化・進化を感じます。
これだけでも大いに心が弾みます。
道徳って、面白いし深いと感じます。
ここに、道徳の本質(醍醐味)があるのだと私は思っています。

鬼澤先生のブログ、楽しみですね。
熊谷先生のブログにも道徳読みの話がでてきます。
こちらも、私にとって楽しみなブログです。

「道徳読み」については、広山隆行編著『道徳読み』をご覧下さい。

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