【横山験也のちょっと一休み】№.3830

小学校1年生で数を学びます。
「いち」「に」「さん」・・・と。

私が先生をしていた頃は、「ひとつ」「ふたつ」「みっつ」・・・といういい方も教えていました。こちらは日本古来の読み方なので、和語と呼ばれています。

この和語で「とお」までは教えるのですが、その先は教えません。明治の学制以来、ずっと教えられてこなかったように思います。が、明治初期の子ども向けの学習用の本の中には、「十五」に和語での読み方を書いているものもあります。子ども達の中には、「じゅうご」と言われても伝わりが悪い場合があるので、和語を書くことで、「十五」という漢字の意味を伝えていたのでしょう。

15は「とお あまり いつつ」と読みます。今の感覚では、わり算の答えの言い回しと似ていますね。
この和語での11から先の読み方は、今では、ほぼ誰も知らない状態になりました。学校で扱わなくなると、死語になりやすいのかもしれません。
そう考えると、学校で和語の読み方を教えなくなっているので、そろそろ、「いつつ」まではわかるが、その先は??となる日本人も出てくるかもしれませんね。

さて、この和語の読み方「ひとつ」「ふたつ」ですが、「ひとつ」が1を言い表しているのではありません。「ひとつ」は、「ひと」と「つ」に分かれ、「ひと」が1で、「つ」は単位、つまり助数詞です。
そういうことを本から学び、なるほどと感心していたのですが、どうにも気になることがありました。

なぜ、「とお」は「とおつ」といわないのか。
「ひとつ」から「ここのつ」まで、きちんと「つ」が付いてきて、「とお」で突如つかなくなります。歴史のどこかの時点で省略されたのかとも思うのですが、全くわかりません。

こういう気になることがあると、ある時、本を探して読んでみようという衝動がでてきます。
『数え方の日本史』を入手し、読んでみたら、驚きました。
和語の助数詞は、「人間臭い単位」「日常生活や労働作業の場で生まれ育った単位もある」と記されています。
つまり、和語の数の読み方は、どこかで人為的にきちんと表現を決めていった言葉ではないということです。要するに、きっちりした規則性では成り立っていないのです。
だから、「とお」は「つ」が付かない方がモアベターだった生活の風があったのだと思います。それがなんであるかはわかりませんが。

この「きっちりした規則性が無い」との思いに至ったことが私に新鮮で、そう言われてみれば・・・と思い浮かべたのが、日付です。
「ついたち」
「ふつか」
「みっか」
「よっか」
・・・・
「ここのか」
「とおか」
こちらでは、一日が不規則になっています。
何か生活の風があったのだろうと思い調べたら、これはすぐにわかりました。
「ついたち」は「月立(つきたち)」が転じた言葉です。昔は陰暦だったので納得します。「ひとか」というより、「つきたち」と言った方が生活にフィットしていたのです。

和語は奥深いですね。
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この本には、楽しい算数のあれこれが載っています。
手に取ってみていただけると嬉しいです。