【横山験也のちょっと一休み】№.3334

家康も愛読したという『吾妻鏡』を読み進めていますが、貴志本の2巻のおわりが近づいたあたりで、牛歩の読みとなっています。

牛歩で思い出しましたが、『吾妻鏡』には「牛追物」が出てきています。
「犬追物」ではありません。「牛追物」です。
そんなに回数は多くないのですが、珍しい名詞だったので印象深いです。

ジャパンナレッジで調べたら、「牛追物」の後に「犬追物」が登場し、こちらが武士の間で流行したとのことで、その後、牛追物はすたれたそうです。

牛も本気を出して走れば速いのかもしれませんが、犬のスピード感、敏捷性には及ばないです。犬でやってみたら、犬がスルリと抜けるスリルに鎌倉武士もハマったのかもしれませんね。

「牛追物」より頻度高く「御鞠」が出てきます。
八幡宮などで何かあると、「御鞠」も模様されています。これは「蹴鞠」の事だろうと思って読んでいたのですが、鎌倉武士が蹴鞠というのも妙なものだと感じます。
「蹴鞠は平安貴族」という定式が私にはあるからです。
武士が眉をおでこに書いて、「アリャエ」「ゴジャル」などと言いながら楽しんだのでしょうか。

「御鞠」が何の事なのか、特に調べもせず、2巻の終わりに差し掛かったら、貴志先生の注釈に「蹴鞠」と出ていました。
鎌倉武士も蹴鞠をしていたのです!
それも、行事のたびにしていたように感じるほど、何度も出てきます。
武士にとっても、蹴鞠は楽しかったのでしょうね。

蹴鞠は今でいえば、一種のスポーツだったのでしょう。貴族の時代は終わり告げたのですが、文化やスポーツは時代を超えて継承されていたと考えられます。
そんなことを思っていたら、確か1巻だった思うのですが、小袖を十数着も着て色鮮やかな姿で鎌倉に来た武士がいました。しかし、片方の袖を引きちぎられ、華美に走るなとガツンと怒られていました。
このエピソードを思うと、御鞠も武士の身なりで楽しんだのだろうと思えます。

今週中には3巻に入れそうです。