【横山験也のちょっと一休み】№.2903

オンライン素麺塾の前半は、山中伸之先生による素材研究の話でした。パワポで骨子を作ってくれていたので、とても分かりやすかったです。
山中先生のお話を聞いていると、まさに盤石!という気持ちになります。

その上、実際の素材研究を体験することもできました。
今回の題材は1年生の「やくそく」です。これを3つに分けて、連続3回も素材研究を体験できました。
体験をした先生方の声は、どれも喜びで一杯でした。
さすが山中先生です。

さて、この「やくそく」ですが、話を読んで私は少々奇妙な話だと思いました。
それは、「主人公が消えていく」という珍現象を起こしているからです。
普通、物語文は主人公が最後まではっきりと存在感を示すのですが、「やくそく」は途中から様子が変わります。主人公だった青虫1号は登場しているのですが、主人公という特別の表し方が全くされなくなっています。
物語文としての重要な要素が抜けているように思えます。だからなのか、この作品は道徳作品と感じられてきます。

それでも、「やくそく」は国語の物語文の一つなので、素材研究では物語が豊かになるように、読み進めました。

青虫1号が2号と出会った場面。
ここは、1号も2号も、自分とそっくりな青虫と出会ったが初めてなのだと思います。
3号は、どうも以前にも似たようなことを体験しているようで、1号2号とは違う、すこし場慣れをした反応を示しています。

その後、大きな木が登場します。
「うるさいぞ。」と大きな木が言うのですが、ここは実に奥深い所です。
大きな木は、去年もその前も、その前の前も、ずっと前から青虫のケンカを見て来ています。今年もすでに何回か見て来ているのだと思います。

多くの青虫はケンカをしないのですが、毎年、稀に何匹かが大げんかをしているので、今回も「また始まったか」というような思いなのだと感じられてきます。
だから、ぶっきらぼうに「うるさいぞ」と言っているのです。

大きな木はそういうケンカする青虫にどう接したらいいのかも体験的につかんでいるで、いつものように優しく「うえまで のぼって」と言ったのです。

青虫が梢まで行けば、「おおっ!」「うわぁ!」などと大感動をして、蝶になる喜びが急激に大きくなることも、この大きな木は体験的に知っていて、それが特別なことでもないと感じているので、「うるさいぞ」とぶっきらぼうに言おうが、「どうしたんだい」と言おうが、そのことによる差はないことも大きな木は知っています。
そういう中で、たまたま今回は「うるさいぞ」になったという感じがしています。

青虫たちは「初めて」と「何回か」という浅い状態です。これに対するように、大きな木は数えきれないほどの体験をしています。
この違いを感じつつ作品を読むのも、作品を豊かに読み取る力になります。

こうして読んでいくと、とても大事なことに気が付きます。
大きな木は全てお見通しということです。しかも、この作品では、そのことを文中に一言も記さずに話を進めています。書いていないがゆえに深いなぁと感じてきます。
それゆえに、最後の1行には、大きな木のある種の陰徳が感じられ、そこから泰然とした姿が映し出され、美しさが増してきます。

「やくそく」はシンプルに書いてあるのですが、物語としての豊かさを受け止めやすい、とても良いお話です。–
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