【横山験也のちょっと一休み】№.2085

◆宇佐美寛先生の『教師の文章』の視写◆
400字詰め原稿用紙が100枚閉じられている原稿用紙があります。
『教師の文章』の視写はこれに書いています。
鉛筆では無く、引き出しに入っている極めて普通な、つまり、高級品では無いシャープペンを使っています。

原稿用紙に書き写している理由は、原稿を書く力をつけるためです。

明らかに人様に読んでいただく文章。
明らかにお金を支払って読んでいただく文章。
そういう文章をいざ書くことになったときに、それなりの文章を書きたいと思います。
でも、その時だけ馬力アップをしても、「さすがの筆力」と思える文章は書けません。
だから、達意の文章と言われる宇佐美先生の本を、「今さら」と言える年齢ですが、「今からでも」と思い、行っています。

そうして、書くときには、「きっとこんな力尽くだろうから頑張ろう」という思いではなく、「必ず力が付く」と信じて書き写します。
気迫というものは、少ないより、多いほうがいいのです。
意識が「ぼんやり」には近づけなくなるからです。

フェイスブックで関口先生が「子供たちにも試写をたくさんやらせています。」と記していました。
底力がつきますね。いいお父様に育てられて、お子様は幸せ者ですね。

鬼澤先生は、「私も視写やってみます!」と力強いお言葉を記していました。
30前後の若い先生です。少しずつ、しばらくの間続けていけば、何かが違ってきますね。
私が鬼澤先生の年齢のころに視写していたのは、宇佐美寛先生の『論理的思考』(メヂカルフレンド社)です。
「宇佐美先生になりきって写す。」というのがその時の私の精神状態でした。今は昔の話ですが。

◆『レ・ミゼラブル』読書中◆
ようやく第1篇と第2編が読み終わりました。
シャール・フランソア・ビヤンヴニュ・ミリエル司教は、まさに聖人ですね。
聖人というのは、私に言わせると、道徳が常識となっている人です。
こすっからいことなどは考えないのです。
読んでいるだけで、もう少しまじめになろうという気持ちが湧いてきます。
名作は力がありますね。

◆5分間視写◆
今日も少し視写をしました。
そもそも学習者個人が独りで思考に沈潜している時でも、乳幼児期以来の言葉(概念)の組織によって思考しているのである。つまり、先人の思考を自分の思考に組み入れて思考しているのである。(p26)
引き込まれました。

関連記事: