【横山験也のちょっと一休み】№.3807
SG会に「学級文化論」からみた周辺の事柄について書いたレポートを提案したのですが、時間不足で意見や感想をいただく時間がありませんでした。
運がよかったのか、悪かったのかはわかりませんが、そうなる定めだったのだろう思うのが、私には一番の心の安らぎとなります。

今回のレポートでは、これまで用いてきた「はじまりの指導言」という用語を取りやめ、「はじまりの2択」という名称で書きました。この方がより明確で伝達力も高まるからです。
この用語の変更は小さなことなのですが、私にはかなり大きな出来事となっています。というのは、「はじまりの指導言」という言葉を作ったのが2年ほど前のことだからです。
教育を考えて発信している先生は何らかの用語を造るのですが、しばらくすると忘れてしまいます。「造った用語が自分の中にも定着しない」これは私自身も何度も体験しています。そんな言葉造ったっけ、という状態になることもあります。
これを基準にすると「始まりの指導言」は忘れ去られることなく、逆に意識的に言葉をグレードアップされています。自分が取り組んでいるテーマである「学級文化論」の重要な用語だからです。
こう考えると、造った用語が忘れ去られるというのは、その時に考えたことが自分自身の考え事として、さほど重要ではなかったとなります。通りすがりの思考中に生まれた通りすがりの用語だったのです。これはこれで楽しいですが、取り組むテーマがあるとその楽しさは比較にならないほど大きくなります。
そうして、今日は学級文化論に必要な用語が2つ誕生しました。ふと浮かびました。その用語1つ1つがどういう意味を持っているのか、また、相互にどういう関係にあるのかも把握できているので、この2つの用語は私の思考をより円滑に進める作用があるはず、と感じています。
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『道徳読み』はいずれ、学級文化論の中でその重要性を改めて記すことになるだろうと思っています。いい本です。道徳の授業でお悩みの先生に、ぜひ読んでいただけたらと思っています。

ことは私にも通りすがりの造語だからです。
