【横山験也のちょっと一休み】№.2935

木更津技法研の国語例会に参加しました。
植田先生の提案された「ポスターを読もう」の授業はなかなか面白かったです。
前半は読書週間のポスター。
後半はコスモス祭りの2つのポスターを比較する。
教科書がこういう構成になっているので、どう扱うと良いかなぁと思いつつ、皆さんの話を聴いていました。
ふと思ったのは、「授業後にも残る力」。それが与えられれば・・・。

2つのポスターを比べるところは、三宅貴久子先生がされていたように、ベン図を使って取り組ませたら、ベン図という思考方法が記憶に残り、また、同様の時にも使えるので、まずは良いだろうと思いました。

ベン図は2つの物を比較・整理する時に便利に使えます。
アイ両方のポスターに共通することを真ん中に書き、アにだけ言えることを右側に、イだけに言えることは左側に書き込みます。
こういう枠があることによって、思考がかなり整理されます。
ですので、前半はともかく、後半にベン図を使えば、ほぼ良い感じと思います。

でも、前半もあるので、そっちもどういう図を使うと良いかちょっと考えてみましたが、前半と後半の整理の仕方に大きな違いが出てしまうので、前半はサラッと流した方が学習効果は高いだろうと思います。

松尾先生からは俳句の授業が提案されました。
目には青葉 山郭公 初鰹」です。
この俳句を使っての松尾先生の授業展開がなかなか良かったです。日ごろの実践の豊かさを感じました。

この俳句は調べると味わい深くなりますね。
とにかく、初鰹が今では信じられないほどの高級品でした。
『江戸語辞典』に、そのことがよくわかる内容が記されています。

四月頃いちばん早くとれる走りの鰹。なかでも鎌倉・小田原の辺から、馬や船で江戸に送られてくるものが最も早く、また高価で、天明の頃一尾二両三分の初鰹を馳走したと伝えられる。

山口素堂はこの句を「鎌倉にて」と前書きで記しています。

きっと、宿に泊まっている時に、女将さんや女中さんに、「先生、初鰹が入りましたよ」などと言われて、膳が並んだのだろうと思います。
すでに、その時までに、青葉や山ホトトギスで俳句をひねろうと思って、それなりに作句が進んでいたのだと思いますが、そこにまさかの初鰹が・・・
そうしてこの句ができたのではないかと、私なりに感じるわけです。

『江戸語辞典』には「はつかつう〔初松魚〕」という見出しも立っています。「はつかつう」というのは、初鰹の訛りだそうです。
そこに、当時の随筆の一節が載っています。

初松魚値(あたい)百貫にして遠近に飛(とび) 『狂訓彙軌本紀』

生(いき)て居る内に初松魚で一盃(いっぱい)飲(のま)せる方が、遥かに功徳だと  『浮世風呂 二上』

一尾が百貫で飛ぶように売れているということです。
「百貫」がどれほどなのか分からなかったので、横道にそれてそれも調べてみたら、1貫は銭1000文。銭は4000文で1両です。ですので、百貫は25両となります。
きっと、当時、そういう大げさな言い方が流行していたのだろうと思います。
私の年代の人間なら、「百貫でぶ」をご存知だと思います。重さの1貫は3.75kgですので、百貫でぶは375kgとなります。大げさですよね。
大げさに言いたくなるほど、初鰹は高級品だったのです。

初鰹で一杯飲ませることが良い功徳になるというのも驚きます。「冥土の土産」という言葉もありますが、当時の大方の人は初鰹を食べたくても食べられないのがノーマルだったのです。

また、『故事俗信ことわざ大辞典』にも、初鰹の諺が出ています。

魂祭(たままつり)の精進落ちに初鰹食う

諺になるほどですから、初鰹の高価さ、珍重さが重々しく伝わってきます。
このことわざの説明文に「初鰹は初夏のものとされ、江戸の庶民はこれを食べることを誇りとしたが、それをお盆が過ぎて、値が安くなってから初鰹として食べる。金銭を惜しむこと。けちなこと。」と記されています。

初鰹を食べる。しかも、鎌倉で。
江戸の誰よりも早く食べるのですから、痛快の思いでしょうね。
もしかすると、そのためにわざわざ鎌倉まで足を運んだとしたら、これまた強度の粋を感じますね。

「青葉」も「山ほととぎす」も調べると面白いことと出合えます。
調べつつ、鑑賞していくことは、非常に面白い世界と思っています。

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