【横山験也のちょっと一休み№.2061】
アーノルド・ローベルの「お手がみ」。
野口芳宏先生の国語継承セミナーで、模擬授業の教材として読みました。
ユーモアのある作品で、滑稽さもあり、読んで楽しめばいいのですが、この作品に博愛を感じるようになってから、読み方が次第に変わってきました。

注目すべきは、かえる君の言動です。
通りすがりで出会ったがま君に、「どう したんだい、」と声をかけます。
これは気遣いです。
悲しそうな様子から、どうしたのだろうという思いが湧き上がってくることはよくあります。
しかし、たいていは思うだけで終わります。
ところが、かえる君、それを声にして相手に伝えます。それも、ごく自然に。
こういうのいいですよね。

「お手がみ」は、こういった相手への「思いやり」から、相手との「共感」へと話は進みます。
模擬授業を受けながら、もし、発問をするとしたら何を聞くだろうかと考えてみました。
単純な問いが浮かんできました。

「かえる君のりっぱな所は何ですか。」

こう問われたら、かえる君の立派なところを教材から探し始めます。
書いてあるかえる君の言動から、立派と感じ得る所に通じる箇所を見つけ出していくでしょう。

一通り見つけ出すと、ホッと一安心します。

ところが、この作品。
道徳として実に秀逸の作品なので、全て見つけ出して終了とはなりません。
文章には表されていないかえる君の立派な姿勢が示されています。
そこに気がつくと、この作品は単なるユーモア作品ではないと感じてきます。
ユーモアで印象づけ、大切な道徳をしっかり身につけて欲しいと願って書かれた作品ではないのかと思えてきます。

その文章で表されていないかえる君の立派なところとは、何でしょう。
それは、報いを求めていないことです。
慈しみの心です。親心です。
かえる君の姿勢に「見事さ」を感じます。

国語の物語文を「道徳を加味して読む」と少し深い読みができます。
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