【横山験也のちょっと一休み】№.2231

『道徳読み』をもう読まれましたでしょうか。
これまでの道徳の本には載っていない、とても斬新な、それでいて的を射ている授業法が載っています。
まだお読みになっていないん先生、ぜひ、お読みになってみてください。

■論語「憤せずんば啓せず」■
道徳が好きな先生には、「論語」をすすめています。
何度か、こういうことを書いてきていますが、ありがたいことに、真に受けて読んでいる先生もいます。
すぐには大きな力にはなりませんが、じんわりと力がついてきます。

論語の中に「憤せずんば啓せず」という言葉が出てきます。
自分から奮起するような人でないと、実りは少ないということです。
詳しい講釈は論語の本に書いてありますので、この機会に今一度読み返してみてください。

「道徳読み」がなぜいいのかと言うと、「自分から道徳を見つける」という学習があるからです。
何度か講座で「道徳読み」を行いましたが、その後の発表が、なかなかにぎやかになります。
グループで発表となると、「言いたくてたまらない」状態になります。
この状態が「憤」の状態なのです。
この「憤」の状態になると、「啓」すなわち、啓いて導けるのです。
逆に、そうでない普通の状態や、しらけた状態では、啓いて導こうにもなかなか導けません。
ですので、発表は全部発表してすっきりするより、まだまだ言い足りないと、盛り上がったところで止めるのが、ちょっとしたコツとなります。

「憤」状態が持続しているときに、先生がそれなりに高尚なことを一つだけ話すと、それがスコーンと入ります。「啓」ですね。
「道徳読み」では、「道徳見つけ」だけでなく、「通知表」でもこの「憤」状態が出来上がります。
すると、先生に求められることは、価値ある道徳の話です。
教材に即した話でも、内容項目の話でも、一歩深めた話でもかまいません。
何かしらの道徳の話をしてあげられると良いのです。「道徳読み」の熊谷先生は、この辺りも上手です。

こういうことも一つの理由となって、「論語」を読んでおくと、あれこれ話ができるのでお勧めしています。

教室の先生の机の上には、『日めくり論語』を置いてみてください。
じんわりと道徳が広がります。書いてある言葉が、学級の共通の道徳言葉になっていくからです。

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