【横山験也のちょっと一休み】№.2813

漢字の話を一つ。

今回は、「待つ」がテーマです。
この漢字は、「ぎょうにんべん」と「寺」でできています。
「寺」に待つの意味があり、そこから「まつ」となっていきます。

それを知っても、待てない時は待てません。

そこで、ちょっと漢字の「見た目読み」「現代読み」をしていきます。

待つを「侍(さむらい)」と「ノ(の)」に分けます。

こう分けると、なんだか価値があるように思えてきます。
待つということが「侍の・・・」とつながってくるからです。

自然なのが、「待つ時の心は侍の心」というつながりです。

教室には、たまに待つのが苦手な子がいます。
そんな子を受け持ったら、何かの折に、黒板に「待つ」と書いて、赤い部分を「侍(さむらい)」と読むことを教えてみるのもいいです。
残ったところは、「の」です。
「だから、待つということは、侍の心と同じなんだ!」と話してあげます。

「待つ」と「侍」の間には、特につながりは無いのですが、漢字を見てしまうと、なんとはなくそんな気がしてくるのが日本人です。

さらに、待てない子というのは、待つこと以上にやりたいことが浮かんでくる子です。
格好良く言えば、待つことより強い目的意識が内面から湧き出しやすい子といえます。
さらに、高めて言うと、小さな志がすぐに出てくる子です。

私の経験では、そういう子は「侍」という錦の御旗に弱いです。
それも、かなり弱い!!
この弱さは、驚くほどです。

当然、侍と知ってしまうと、心の中でハッとしています。
わずかながらですが、火もついています。
そして、実に短絡的に、「自分は侍かもしれない?!」と淡い期待まで抱いています。
なぜ、そう言うことがわかるかというと、私もそういう子だったからです。

「あれ、侍だね~」
と、軽く肩に手でもかけられたら、ほぼ1週間ぐらいは「僕は、侍だ」と思いこんで、日々を楽しんでくれます。

数日後、「待つは 侍の心」という、いかにも作った感満載な言葉を話して、我慢不足の子を「我慢侍」へと導きます。

このぐらいの変化球が投げられると、教室は楽しいですね。

右の本は算数の「手づくり教材」が満載されている本です。とても面白いです。
若い先生方にも喜ばれています。

関連記事: