【横山験也のちょっと一休み】№.2106

宇佐美寛先生の『教師の文章』の視写が続いています。4章に入りました。
研究者の心得が書かれています。頑張ろうという気持ちになります。

◆愚か者にはなりたくないですね◆
つい、今しがたのことです。
熊谷青士先生が、2人の子の「省みる」をアップしてくれました。
それもただの「省みる」ではありません。
道徳教育史に例がないと思えるような、実に良い「省みる」です。
これについては、いつか、何かの折に本人の論文として著されてほしいです。

それとは別に、私が良いなぁと感じたことがありました。
それは、子供の書いた次の一文です。

「人の話を最後まで聞けないので、それは直していきたいです。」

この1行は、「愚か」とは何かを考えるのに良い材料となりました。
通常、人の話を最後まで聞けないこと、それが愚かとなります。
ですので、図式としては、「最後まで聞けない=愚か」となります。
この見方で終わりにしてしまうと、道徳がもったいない状態になります。

立派な人でも、時として人の言葉を遮り自説を唱えることがあります。
ですが、立派な人は、ふと我に返ってから「ああ、申し訳ないことをした」などと恥じ入る心になります。こういう心になるからこそ、人はその人を立派な人と感じるようになるのです。

本当に愚かな人は、そういう申し訳なさを感じません。
感じないどころか、自説を言ってやってぜと、自慢げな心になります。
自分の足らなさ、悪さを、自慢に思うのですから、愚かさが大きくなります。
愚の骨頂などとも思われるかもしれません。

一時的に愚かなことをしてしまうことはあります。
その後の心・態度がその人の人格を表わすのです。

先ほどの子のように、「それは直していきたいです。」と、まじめに思える人は、立派な人へと次第に成長していきます。
こう書きつつ、自分自身、反省をしています。

道徳について考えることは、それだけでも気持ちのいいものです。

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