【横山験也のちょっと一休み】№.2858

zoom技法研、恒例の論語もいい勉強になりました。
今回は植田先生のレポートに、学びの姿を見ました。

今回の条は
子曰く、古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。」(憲問第一四)です。

この条、なかなか奥深いものがあります。
初めて論語を読み始めたころ、素直に読んだ感覚と、本に載っている解説とが、大きくずれているように感じて、「??」状態になりました。

そうしたら、植田先生のレポートもほぼ同じような状態だったのです。
きっと、植田先生もずれをなんとかしようと思ったのだと思います。それが2つの解釈へと向かい、さらに??の深みに・・・。
そんな苦悩のようなもの感じさせる植田先生のレポート、実にいいなぁと思いました。

論語には、こういった悩むところが出てきます。
そこを悩むから、その先の成長を感じ取れ、次第に整理が付くようになっていきます。

子曰く、古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。
これを実感的に把握するには、「陰徳」と、それの逆である「陽徳」が頭に入っていると、分かりやすくなります。

陰徳と言うのは、人知れずして行う徳です。
陽徳はその逆で、人に知られるように行う徳です。

古の学者は己の為にし
ここに出てくる「学者」は「道徳を学ぶ者」です。
道徳を学ぶ人は己の心の忠孝や仁道がより豊かに大きくなるように学び、思い、考え、実行します。だから、己の為にするとなります。
これが昔の道徳を学ぶ人の姿です。

今の学者は人の為にす
ところが、今の道徳を学ぶ人は、人に知られるように道徳を学び、思い、考え、実行しています。
当然ながら、陰徳は行われません。
いつでも、陽徳となります。

古の学者は陰陽にとらわれることなく、己の道徳心に磨きをかけていますが、今の学者は偏ってしまい、見せかけの道徳に陥っているのです。

解説文はこれらのことを、簡潔に記しています。

先生が言われた。
「むかしの学ぶ者は自分を高めるために学問をしたものだが、今の学ぶ者は他人から評価してもらいたくて学問をする。」

解説文の意味することが、伝わったかと思います。

論語の本はたくさん出ています。どれを読んでも勉強になります。

吉川幸次郎氏の論語です。時々読み返して、いい気分になっています。 教室の先生の机の上に置いておくと、次第に効果がでてくると、愛用してくれている先生が話してくれました。


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