【横山験也のちょっと一休み】№.3476

論語を読んでいると、ふと、小学校の先生をしていた頃のことを思い出すことがあります。

理科室で授業をしていた時のことです。ガシャンとガラスが割れる音が聞こえてきました。
ビーカーを落っことしたのです。

何の偶然か、この数日前に論語の一節を何かの本で読んでいました。
孔子の家の馬小屋が火事になり、務めから戻った孔子が「けがをした人はいないか」と尋ね、馬のことを後から聞いたといった内容です。

「孔子はさすがだなぁ」と感心していたので、「何やってんだ、割ったのか」と口走りそうだったのをグッとこらえ、「怪我はしなかったか」と言うことができました。
私の言葉に、周囲の子の大変なことをしてしまった感のある顔が、スッと和んだ顔になりました。

これが印象的で、その後も花瓶が割れたり、ガラスが割れたりとあったのですが、まずは子ども達にけがが無いかを尋ねることができるようになりました。

思い返してみると、あの時、本を読んでいなかったら、本を読んだ印象が残っている間にビーカーが割れなかったら、「人を大切に」という教育観はかなり遅れて出てきたのだろうなと思います。
授業のレベルもイマイチで、最も大事な子どものことを大切に思わなかったら、それは教師としてどうなのと思えてきます。

ふと、そんなことを思い出しながら、論語を少し読んではいい気分になっています。


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