【横山験也のちょっと一休み】№.3275

終戦直後の通信簿を拝見する機会に恵まれました。
左は昭和22年度の山口県の小学校で発行された通信簿です。

まず、目を引くのは、謄写版印刷です。
印刷会社に依頼をして届けてもらうのではなく、自校での作成と思われます。

「鉄筆を持たせたらこの先生」という特殊能力の高い先生が鉄筆を握り、丁寧に、ミスの無いように、書き上げ、それを刷りの名人と思える先生が1枚1枚刷っていったものと思います。

通信簿に使われている紙も、お世辞にも良い紙とはいえません。
戦争で物資が欠乏し、品質の良い紙が手に入らない時代。さらに敗戦という大きな痛手を受けたばかりの昭和22年。
それでも、「通知表だけは、立派に出したい!」という先生方の強い思いがこの通知表から感じ取れます。

通信簿の文字に目を向けると、縦書きとなっていることがわかります。教科名も右から左へ書かれています。また、所見欄には「教科ニ関スル概評」とカタカナが用いられています。
翌年の通信簿では縦書きではありますが、平仮名が用いられ、教科名などの横書きの場合は今と同様となっています。
国語が大きく転換されつつあった時代のはざまに作られたのが、この通知表です。きっと、校長先生はじめ、国語に堪能な先生方が新しい表記への抵抗感を持ちつつ、教育は文化の基と考え、歴史的な重みを大切にして、この形になったのではないかと思います。

こういう古い通信簿に触れると、家庭と学校が力を合わせて子供の一層の成長を願っている様子が見て取れます。担任の先生からの「優」「良」などの記入を見て、親御さんが子どもの将来をよい方向に夢見、さしあたり今は何をこの子にと考え、先生とお話をする懇談の一コマも感じ取れてきます。

今の時代の通信簿は先生からの言葉を記す量が大きく増えています。その分、子どもや親御さんにとって励みとなるように記しやすくなっています。
それでも、懇談会でお話しする内容に比べれば、うんと凝縮して記すことになります。
小学館の『教育技術』という月刊誌があり、そこに所見の参考となる言葉が数ページ載っていました。その中には、見事!と感じる文言があり、それを参考にしつつ、受け持ちの子の所見を書くこともありました。
大事なことは先生の持つ伝えたいことを、限られたスペースによりよく記すことです。
山中伸之先生のこの本が出た時には、先生をしていたころに欲しかったと思いました。


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