【横山験也のちょっと一休み】№.2321

■『伊藤仁斎』を読書中■
九州・奈良・札幌と珍しく遠出をしました。
旅の友は『伊藤仁斎』(中央公論社)です。

この本には「論語古義」と「童子問」が載っています。
読んでいるのは、「論語古義」です。

せっかくカバンに入れたのですが、私の読みの力が弱く、まだ半分も読めていません。
それでも、随所でなるほどと感心しています。

本を読んでいると、その場ではよくわからないので、後で調べたいと思うところが出てきます。
そんな所には、線を引き余白に「要調」と書いています。

ところが、家に帰るとすっかりそのことを忘れて、先を読んでしまいます。
たいていの場合は、調べずじまいになります。

今日は、「要調」を一つ調べました。

「皇天(天の上帝)は親(えこひいき)なく、惟善これ親しむ」(『書経』蔡仲之命、また『左氏伝』儘公五年(p127)

親に「えこひいき」という意味を持たせているところ、仁斎の冴えですね。
なるほどと思ったら、同様のことが書経と左氏伝にも載っていると出ていました。
どんな風に載っているのか、それが気になり、「要調」と書き込みました。

左氏伝では「私親」という言い回しになっていました。
書経では「だれか特定のものを親しむ」という解釈が載っていました。

「そういうことか!」と感心しました。

小学校の先生に大切な心得の一つが「親心」です。
これは誰かの親ということではなく、みんなの親ということで、「公親」という意味なのだと理解が進みます。
こんなことは、極めて当たり前のことですが、その当たり前に感動できるようになりたいと思っているので、今回の調べはとても意味のあることになりました。

公親の心をもって、先生が善に親しんだら、子どもたちもついてきますね。

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