【横山験也のちょっと一休み】№.2270

■木鶏と春夏秋冬の図■
古典を好んで読んでいると、その考え方がなんとなくわかるようになってきます。
なんとなくわかってきたことを、思考しやすいように、なんとなく図にしていきます。
次第に何となくがなんだかいい感じとなってきて、一つの図として成り立ってきます。

そんな道徳の思考として私が愛用している図の一つに「春夏秋冬の図」があります。
古典を読むときも、時々、この図が頭をめぐり、考えを深めてくれています。

人と話している時にも、時としてこの図を使って話すことがあります。
主に困苦・盛隆の話題の時に用いていました。

今、荘子をかなり軽めに読んでいます。
荘子には、木鶏クラブの木鶏の話が載っています。
友だちの中に、木鶏クラブに通っている先生もいるので、「荘子と言えば木鶏」のような思いになっています。

その木鶏の話で、荘子は闘鶏を育てる様子を4つに分けて記しています。
1、威張る
2、飛びかかる
3、にらみつける
4、動じない
なんでこの4つなのか、初めて読んだときには何も気にもなりませんでした。
それが、時を経て改めて読むと、次第にこの4つが気になってきます。
そうして、これを技術と精神という見方で見ていったとき、春夏秋冬にうまいことフィットしました。
1から4へは一気には進めないことも、とてもよく理解できました。

古典は深いとつくづく思います。

春夏秋冬の図に木鶏がフィットしたため、その勢いで、老荘の考え方と孔孟の考え方の違いも、春夏秋冬の中にフッとさせることができました。
これはまさかの大ミラクルです。
おかげで、私の嫌いな老荘の考え方を冷静に見ることができるようになり、以前より老子・荘子も本を開くようになりました。

ということで、春夏秋冬の図は困苦盛隆の外に上達論にも用いれるようになったというお話でした。

古典は面白いですね。

道徳をこれから学ぼうという先生に、私はまずは論語から読むと良いですと言っています。
教室には、『日めくり論語』です。

※木鶏クラブは、「もっけい」と読みます。
荘子に出来る木鶏は「ぼくけい」「ぼっけい」と読みます。

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