【横山験也のちょっと一休み】№.2237

■行くに径に由らず(論語)■
朝からアフリカの国際会議向け資料を作っていました。
自分が行くわけではありませんが、作っておいた方が良いだろうと思えることを、自分なりにつくっています。
要は、「やれるだけのことは、やろう」ということです。

時折、論語に手を伸ばし、パラッと開きます。
「行くに径(こみち)に由らず」が目につきました。

「径」という漢字と最初に出合うのは、大方の人が「直径」「半径」からだと思います。
円の中の直線の長いのが直径で、その半分なのが半径。
何の意味も考えずに、「そういうものだ!」ということで記憶してきたと思います。

学生の頃でしょうか、「小径」という言葉が歌のタイトルなどで出てきて、「径」は「道」と関係があるのかと、不思議な思いをしました。
不思議というのは、直径・半径は、線なので幅が無いと思っていたからです。
それが道と同様となったら、直径も太目になっても良いのだろうか、などと思ったのです。

そうして、論語に触れるようになったら、「ちかみち」という意味も含まれているとわかり、直径の意味がかなり高いレベルで合点がいきました。
直径は最短距離という意味も持っているものと、腑に落ちたのです。

そして、「行くに径(こみち)に由らず」です。
「径」は「こみち」とか「ちかみち」という意味です。
行くのに、「こみち」なんかに踏み込まないよ!というような意味です。
近道・抜け道は、人の人生の道で言えば、まっすぐ歩むにふさわしい「人の道」ではなく、獣なども通る小さな道となります。
そういう「こみち」は歩まないということです。

「しっかり前を見て前進していこう!」という気持ちになります。

こういうのも、一つの道徳です。
一つの言葉から感じたことをあれこれ書き、自分を少しでも良くしていこうと思うのは、大人の「道徳読み」です。

ネットを見ていると、大人の道徳読みをしている方がたくさんいるので、良いなぁと思っています。
特に論語は、たくさんの方々が「道徳読み」をしています。

『日めくり論語』でも、私は時折、道徳読みをしています。


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