【横山験也のちょっと一休み】№.2317

今日の朝日新聞の朝刊。
1面のサンヤツ欄に、宇佐美寛先生の『国語教育を救え』の広告を出しました。
千葉大学時代も、その後、教員になってからもお世話になった大先生です。

教科書を自力で読めるようにする方向に考えるようになってから、発問に対する私の意識が変わってきました。
この本を読んで、うなりました。

朝日新聞のサンヤツは、<こちら>からご覧いただけます。

■「自分に正しく」と寿命の関係■
大分でも、奈良でも、「道徳読み」の話をしてきました。
時間が少しあったので、冒頭に簡単ながらも「道徳のそもそも論」をお話しました。

その中の一つ。
「人にはやさしく」
「自分には正しく」
も話しました。

この「自分に正しく」は、寿命にも関係しています。

正しい道を歩んでいれば、まず、トラブルは起こりません。
ケガや事故とは縁が遠のきます。

まがった道を歩んで、そこに「へ理屈」をつけて、あたかも自分が正しいかのようにして生きるようなことをしていると、遅かれ早かれ咎(とが)めを受けることになります。
咎めを受けなくとも、トラブルが発生しやすくなり、命を落としやすくなります。
万一、そういうことが起こっていなかったとしても、それはたまたまのことです。
次には大きな不幸が待ち構えているかもしれません。

子どもたちを不幸の道に入り込ませないためには、自分に正しくという立ち位置を意識的に経験させていくことが大切です。
その一つの方法が、「道徳見つけ」であり、「通知表を付ける」なのです。
この二つは、どちらも立ち位置が「≒先生」なのです。
先生的な立ち位置に立つことを繰り返すことが、悪の道を嫌う心をつくります。

「道徳読み」の話をするたびに、『道徳読み』を本にしてよかったと感じています。

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