今、日本は社会の変革期にあると言われています。この社会の変革期に、学校教育も含め、教育そのものを変えていく必要があるのではないでしょうか。

それをなんとか伝えたいという思いから私は、『まんがで知る 未来への学び』という本を使って教育の在りようを描いているのですが、一方で、教育の分野に経済産業省が積極的に関わりを持つようになってきたことにも注目しています。

経産省がいま何をやろうとしているのかということ、もう一つは、それを牽引する担当官が、今後どのような教育が必要になると思っているのかを知りたいと思い、経済産業省商務・サービスグループ サービス政策課長で教育産業室長でもある浅野さんをたずねました。(前田康裕

【たずねた相手】
浅野大介経済産業省商務・サービスグループ サービス政策課長(併)教育産業室長

経歴:
2001年入省。資源エネルギー(石油・ガス)、流通・物流・危機管理、知的財産、地域経済産業、マクロ経済分析等の業務を経て、2015年6月より資源エネルギー庁資源・燃料部政策課長補佐(部内総括)、2016年7月より大臣官房政策企画委員としてサービス政策と産業保安政策の部局再編を担当し、その際に教育産業室を立ち上げ。2017年7月より大臣官房政策審議室企画官、10月より教育産業室長を兼務。2018年7月よりサービス政策課長に着任し、教育産業室長は引き続き兼務。

資料はいずれも、経済産業省「2年目を迎えた、『未来の教室』プロジェクト」より
■1 なぜ今、経産省が教育を?
■2 ぼくらの「主体的で対話的で深い学び」
■3 「未来の教室」とEdTech
■4 1人1台の情報端末
■5 「ぼーっと座ってんじゃねぇよ」

取材協力:一般社団法人ICT CONNECT 21


 

■1 なぜ今、経産省が教育を?

前田 単刀直入に。教育と言えば文部科学省だったのに、いま経済産業省が動いてるのはなぜなのでしょう? 先ずはそこから伺いたいと思います。

浅野 まず、世界のビジネスや公共政策の現場で起きていることを考える必要があります。

自ら課題を設定して解決をする、つまり自分で問いを立てて、自分に足りない力を持つ協力者たちの知恵を集めて、試行錯誤を繰り返しながらプロジェクトを完成まで持っていく作業を、ものすごいスピード感覚で行っていく。

ITの用語で言えばアジャイル注1という言葉が近いですかね。打ち手をどんどん選びながら、常に目の前の課題に向けて、未知の解答をみんなで高速でつくっていくアクションが必要です。ところが、日本社会全体、そこがめちゃくちゃ弱い感じがします。

前田 それは日本社会全般に言えるということですね。


浅野 そう、私の知る範囲ですが、たぶん日本全体だと感じます。それを私は官僚として過去に様々な業務を経験する中で強く感じました。

例えば日本の産業界で「事業再編が進まない」とかいう問題がありました。でもそれ、自分の会社のことですよ。自分の会社の事業分野を再編して、誰と組んでどういう新しいマーケットを創っていくかなんて、自分で考えて粛々と実行すべきことです。役所に口出しされるまでもなく。自分の組織の中の働き方改革なんかもそう。もっと働きやすく、生産性の高い組織にしたいなら、自分で変えなくちゃ。

国際舞台でも同じです。海外の企業は、日本企業の強みをつぶしにくるわけですよ。相手の強みを消す国際経済ゲームってのがあるわけです。例えば、従来日本の企業が得意とする製品に不可欠な素材を、国際的な環境規制を新たに作らせてしまうことによって、使えなくしようとしたりする。

わかりやすい例で言えば、昔、バサロ泳法注2の鈴木大地さんが五輪で金メダルとったら、次のオリンピックからバサロ泳法が禁止になったってことがあったじゃないですか。

前田 ありましたね。

浅野 あれと本質的に同じことが世界の産業界では日々起こるんですよ。そんな状況に対して「ルールを変えるのは難しい」なんて思っている日本の企業人も少なくないわけです。

もちろん政府はがんばりますが、世界のグローバル企業達はみな、政府頼みではなくて、ライバル企業の仕掛けによって欧州あたりでそういう規制がつくられないように、企業自身が先手を打ってそういう芽を摘みにいくわけですよ。自分に不利な環境ができないように。

日本の山奥で素晴らしいものづくりをしている企業も、そんなグローバルな経済ゲームに左右されます。そこを生き抜くために、海外でライバル企業が仕掛けている罠を察知してつぶしにいく。そのときには政府にしっかり助太刀を頼む、政府としてもやってくれと頼む、そういうプロの世界の「草の根民主主義」が、欧米にはあるけれど、日本は弱いんです。

ルール・メーカーとしての力がなさ過ぎる――ここまで申し上げるともう何となくわかると思いますが――つまり学校で「ルールを守りなさい」「みんなで一緒に仲良くやりなさい」と言われて、何となく決められたクラスメートと、決められた時間、決められた場所でつつがなく過ごすことを「是」とされる教育を受けてきた日本人は、その力が弱い。


前田 なるほど。「相手の強みを消すゲーム」の中で生き残らないといけないっていうのはピンときます。それが日本の一番の課題だと考えられるわけですか。

浅野 もちろん、「他人の邪魔をしろ」と言ってるわけではありません。少なくとも自分たちの邪魔をしてくる他社があるのだったら、それを封じることくらいは考えて準備しなくちゃダメでしょう、ということです。本当に、学校の特別活動のレベルの話が根っこにある話なんですよ、これは。

自分たちの生きる環境は自分たちでつくらねばならないという、その根っこの思想が弱いんですよ。

前田 それは日本の教育に問題があるというんですね。

浅野 そうです。一部の熱心な先生達の取組を除けば、特別活動が十分に機能してなくて、シティズンシップ(当事者意識)を養えていないのかもしれません。

例えば、これだけ「校則」というものが、ブラック校則もオモシロ校則も含めてたくさんある中で、「校則は自分たちでつくる」「毎年見直す」みたいな慣習はありませんよね。もし毎年校則を生徒中心に見直してみないかという話が持ち上がっても、「そんな不安定なのは困る」という声に負けてしまうでしょう。

しかし、不安定で結構じゃないですか。むしろ、ルールなんて学期ごとに変わったっていいくらいです。そういう、なんというか、「ルールは可変である」とか、「自分たちの住む環境、生きる環境は可変である」という感覚、つまり黙って待っていても誰も何もしてはくれないという、主体的な市民としての心構えというものが、教育を通じて養えてないこと、それが常識として浸み込んでしまっていることが、日本社会全体にかなりまずい影響を与えている気がします。

前田 要するに、自分たちで自分たちを変えていこうという、そういう気概がないといけないということですか。

浅野 そもそも「自分たち」という発想がない。何でも先生がやってしまっているんですよ。だからみんな、先生がやってくれるのが当然になっている。だから、あとは決められたルールを守りなさい、ということになっちゃうわけですよ。

そして、先生から「ルールを守りなさい」と叱られることはあっても、「なぜ君たちはこんなおかしなルールがあるのに、黙って甘んじて受け入れるんですか、自分達で何とかしなさい」と叱られることはない。学校は、もっと子ども達に「市民たれ」と鍛える場じゃないと。これからの学び舎は、そういうことを教える場にならなければいけないと思っています。

前田 教育の在り方そのものも変えたいというお気持ちがあるということですね。

浅野 そうなんです。そしてもう一つ、より「生きる力」に関わる問題もあります。

注1)アジャイル(agile):従来の開発手法に比べて短期間で迅速かつ適応的に開発を行う軽量なソフトウェア開発手法。語義は「機敏な」「敏捷(びんしょう)な」「素早い」等。

注2)バサロ泳法:背泳ぎでの潜水泳法のこと。1988年のソウルオリンピックで鈴木大地選手(現スポーツ庁長官)このバサロ泳法を使った泳ぎで金メダルを獲得したが、その直後、国際水泳連盟は背泳ぎの潜水距離を10mに制限するルール改正を行った。