【横山験也のちょっと一休み】№.2397

■「教え有りて類無し」■
論語が好きで、時折、開いては楽しんでいます。

「教え有りて類無し」
英霊公第十五に出てきます。

この言葉は含蓄があります。
意味は、教えによって差が有るようになるのであって、生まれついての差は無いですよ、というようなことです。

そういう意味を伝えると、でも、先天的にということもありますよね、と返してくる人もいます。
それはそうなのでしょうが、教える立場の人はそうはとらえられない良い内容を持っているのがこの言葉です。

先天的と言うのは、もう済んだ過去のことです。
過去の責任にして今を語るのは、教える立場の人としてはいかがなものかと、私には思えてきます。
先天的なところに軸足を置かず、今からの教えに工夫するよう頭を巡らせることが大切なのだ、それが差になるのだと、孔子のこの言葉は伝えてくれていると、私には感じられてきます。
生まれつきの所、もう済んだあの頃のことに軸足を置いて考えたら、その先も差が無いですよ。
今から、これから、そこへの教える側の知恵が、この先に差を有らしめるのですよ。

そう感じられるようになってから、この言葉が私の中ではいい感じで活躍してくれています。
もちろん、ルワンダでも「教え有りて類無し」は感動的に力を与えてくれています。

論語はいいですね。
教える立場の方は時々読み返してほしいです。
『日めくり論語』もいいですよ。