【横山験也のちょっと一休み】№.3468

2月11日は建国記念の日です。戦前には紀元節と呼ばれていました。元をたどれば神武天皇即位からとなり、日本の国の歴史は長く、それは世界最長であり、今に続いている最古の国になっています。
自分の国の歴史の話には、日本人ですから嬉しい気持ちになります。また、それとは別に、私は戦後の日本に感謝する気持ちでいっぱいになります。

なにしろ、生まれてから今日まで、戦争を一度も体験せずに過ごせています。これは、何という幸運でしょうか。たまたま日本の昭和20年代後半に生まれたことで、その日本にずっと住んでいたことで、徴兵を体験すること無く、戦場に行くことも無く、空襲に怯えることの無い、平和な日々を過ごせています。思うに、自分の父や母が、同世代の人たちが、同時代の人たちが、自分の分までも戦争の辛さ苦しみを背負ってくれていたように感じます。
おかげ様で私は楽しく小学校の先生をし、アフリカまでチャンレンジでき、すきな本を読むことも出来ています。

同じ日本に生まれていても、これがもし、平安時代だったら、戦国時代だったら、戦前だったらと思うこともあります。どの時代に生まれても、中央の歴史上の皆さんの華々しい世界とは縁遠く、道端に餓死者が何体も倒れているといった文学作品を思い出し、その倒れているのが、場合によっては自分だったようにも感じます。いつも飢饉や騒乱に怯る人生だったのだろうと思えます。

そう思うので、平和はとても大事と実感します。
この平和ですが、肌感覚でも大切と感じますが、日本人ならではの「平和」という漢字から考えてみると、案外納得できるところに届きます。

「平和」は、「平」と「和」からできています。
平和として、重さがあるのは「平」だろうか「和」だろうかと自問すると、漢字の訓読みが浮かびます。訓読みが浮かぶところは、まさに日本ならではなので、他の国の人にはわからない感覚です。
平は「たいら」。和は「やわらぐ」「なごやか」「なごむ」。訓読みにしてみると、和が大切で、誰もが平らに、平等に、和に包まれている状態が平和なのです。日本という大地の上を、和がどこも平らかに覆っていて、そこで私たちが生活をしている。これが日本なのです。
そう思うと、自分が和やかに日々を過ごすこと、それだけのことですが、それが日本の平和につながるのだろうと思えてきます。
このように漢字から道徳を考えるも楽しいことで、確かに平和の中にいると感じます。

漢字から道徳。そこを少し考えていますが、この考え方は、「道徳読み」に近いものがあります。こちらの『道徳読み』は、道徳の授業について記してあります。なかなかいい本です。

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