【横山験也のちょっと一休み】№.2864

『枕草子』を久しぶりに読んでいたら、書かれていた活字の「知」が急に気になりました。「なんで、矢と口なのか???」が気になったのです。

こういうことはよくあることで、その場で調べ始めたくなれば、何か新しいことに出会う可能性があります。
気になるものの先も読みたし・・・となると、話を楽しむことができます。
どちらになっても、楽しいことには変わりません。

新選漢和辞典Web版で調べたら、
「矢のように速く口に出ることをいう。」とありました。
まるで、漢字そのものです。

それで、さらに諸橋轍次の『大漢和辞典』で調べたら、「知」の訓読みの1番に「しる」とあり、その意味の1番に次のようにあります。
「言葉として口から発し得る心内の認識。」

この意味になぞらえて言えば、私は、「知」は心内の認識と思っていました。
しかし、漢字としての「知る」の本来の意味は、それを言葉として発し得る状態なのです。
自分の口でしっかり言えないと、「知る」には至れないのです。

つづいて、『大漢和辞典』の解字を見ると、次のようにあります。
「心内に認識すれば言葉として口に発すること矢の如く速やかなる故に、矢と口とを合わせて、しる意を表はす。」
すばやく言えてこそ、知っているとなるわけです。

こういうことを現役の頃に知っていたら、「矢のように答えよう!」と盛り上げて楽しめたと思います。
少々、惜しい思いをしています。


この本には、矢のように答えることは書いてありませんが、上記風に書くと、道徳の授業で教科書を読んで、自分の心内の認識と照らして、思いついたことを書き込むという新しい授業スタイルが載っています。

若い先生にも評判がいいです。

関連記事: